3ヶ月程前に中古のWindowsタブレットを1万円程度で買いました。特に使用する目的も、具体的なイメージもなく、何となく「いじって遊んだら面白そう」だなと思ってポチったのです。もともとは企業で、検針などの現場作業用に使われていたものの様子ですが、驚く程にキレイな状態で傷一つなく、SSDの使用時間ときたら僅か30時間程度でした。新品のSSDなの?と疑う程です。
それで、幾つかフリーソフトをインストールしたり、スクリーンキーボードを使える様にしたりして使い始めたのですが、これが「期待」以上に便利で、現在、大活躍中なのです。どこにでも持ち運べるし、動作だって意外とサクサクとしています。
それに、何よりも一番よいところは、ネット/動画を見るか、メールの受信を確認するくらいしか、実用的ではないところです。そう、それ以上のことは「期待」していないし、そのわりに「期待」以上に働いてくれる。中高年の仕事もかくあるべし!みたいな感じです。
「期待」や「希望」がないと生きていてもツマラナイですが、一方でこれが自分を苦しませたり、悲嘆に暮れさせたりします。これは一生続くのでしょうから、とにかく毎日が「一喜一憂」の連続です。
初めて入ったラーメン屋さんで注文したチャーシューメンに期待する、庭でスクスクと育っているトウモロコシの実りを期待する、次の職場の人間関係が良好であることを期待する。
3本100円のボールペンに書き心地の良さを期待しない、前評判がよくない映画なので内容に期待しない、そもそも睡眠導入剤に期待しない。
なかなかに平静に「そんなもんでしょ」なんて、気持ちにはなりません。どちらかと言えば「期待してがっかりする」タイプの人間なので、今回のタブレットPCの様に「期待せずにいたら、お値段以上だった」なんていうのはレアケースです。
けれど「最初からまったく期待しない」というのも、何だかツマラナイ気がします。予防線を張りつつも、心の奥では少しだけ期待をしている。こういう小市民的な気持ちのあり様が、一番気が楽だったりします。これまでも、これからも。
8月以降、しばらく休んだ後に再び仕事をすることになります。そのときに、自分の「期待値」を上げない様にしたいと思っています。それは相手から見た場合にしても、自分にとってもです。
面接のときに頑張ってしまって「こんなことも、あんなこともできます」なんて言わない。それで、結果として「採用に至らず」ならば、ご縁が無かったということで。働き始めてから、周囲をガッカリさせるのも、周囲にガッカリするのも気分が悪いですからね。
数日前に通販でハンコを注文し、到着を待っています。実印以外、シャチハタと文具店の店頭で売っている様な小さな三文判しか持っていなかったので、少し大きめの「銀行印」サイズのものを注文したのです。
これから退職後にいろいろと捺印が必要なことがあって、その際に味気ない三文判をペタペタと押し続けるのがイヤだったんですよね。少しはカッコつけさせてよ、といったところです。注文したものは、「大セールで1本1,000円、送料込み」なんていう商品なので、大して「期待」はしていないのですが、果たしてどんな印影なのか、それなりに「期待」をしています。早く、届かないかな。