以前のエントリでも書きましたが、最近の通勤電車の混み具合には本当にうんざりです。つい1ヶ月程前までは、普通に吊革にぶら下がることができたのですが、最近は乗車した時点でぐしゃぐしゃの団子の一部と化してしまいます。62歳には辛いなぁ。
さて、3月から続いた職場での「絶望的な忙しさ」もようやく一息つくことができる状態になりました。これ、仕事量が多いというよりも、前任者の突然の退職に伴う「新しい仕事」に慣れるためにそれなりの時間が必要だったのです。
それに「新しい仕事」というのも、細かいお約束でいっぱいの作業の塊が30以上もあり、我ながらよくこの短期間で「何とかした」と思っているのです。仕事が間に合わない夢を、結構頻繁に見るくらいプレッシャーがありましたからね。
それで、改めて高齢者の仕事の「当たり前」に少しずつ戻し始めています。その当たり前とは、①定時に仕事が終わる(勿論、休日に出勤したりしない) ②過度の責任を負わない ③担当業務範囲を粛々とこなす こんなところでしょうか。
ゴールは①:定時帰りなのですが、そのためには②③をきっちりと守ることが必要になります。とかく私の場合「②:過度の責任を負わない」が、一番のキーポイントだったりします。お人好しなので、すぐに「いいですよ、やっておきますよ」なんて言ってしまうのです。
勿論、「できることはする」というのは大事な姿勢だとは思いますが、その結果、まるで「現役」の頃の様な働き方をするのはきっと「間違っている」のです。自分も苦しむし、周囲も過度に期待してしまうし。自分が時間と労力を費やして、「できないことを何とかする」のは、そろそろ終わりにしないといけないのです。
私のお人好しの振る舞いが、結果「できなかった」となるリスクを仕事において作り出してしまいますし、私の心の中にも「いくら頑張っても、この先、どこにもつながらないからな」なんて冷静な思いが生じたりします。
今回の経験を踏まえて、これからは、改めて「分をわきまえる」ことを考えたいと思うのでした。年寄りの冷や水、昔の人はよく分かっていたのです。
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通勤の朝は、家から駅まで毎日7~8分をかけて歩くのですが、ここ、見事に日陰がない道なのです。暑くなると毎年野球帽を被って、強烈な日差しの対策としているのです。今年も明日からは、通勤用のリュックサックに帽子を入れておきますかね。