随分と時間を掛けて読んでいた「サピエンス全史」がようやく読み終わりました。一冊の本を読む、小さな旅の終わりです。様々な知識を駆使して組み立てられた「きらめくように絵巻物」を存分に楽しませてもらいました。作者のユヴァル・ノア・ハラリさん、そしてこの本をこの国にいて、労せずして読むことができる様にしてくれた人たちに感謝です。
この本において、ホモ・サピエンスの未来を語る最終章の手前に、「文明は人間を幸福にしたのか」というこれまで語ってきた人類の生い立ちを、「人は幸せだったか」という視点から再度見直す章があります。
作者は最初からこの部分も本の全体構成に組み込んでいたのか、それとも歴史と文明を巡る旅を書き進む中に、「幸せ」に関する自分の考えをまとめる必要を感じたのか。いずれにせよ、ここまで旅を続けてきた読者に「自分に立ち返って『幸せ』を考える」ことを問うのです。
永続する「幸福感」とは、生化学が解き明かした様に神経伝達物質であるセロトニンやドーパミン、オキシトシンが脳内に分泌されることで起き、十分な「幸せ」「充足感」を得るためのこれらの濃度は人により違うのだそうです。
世の中が便利になったから、何でも簡単に手に入る様になったからと言って、現代の人間の方が昔に比べて特段に「幸せ」になった訳ではないのです。人間はそれぞれの時代において、それぞれに「幸せ」を感じていたということになります。
そして、著者は「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」というニーチェの言葉を引用します。人が「幸せ」かどうかは、モノにもコトにもなく、その人の人生全体が有意義で価値あるものと見なせるかどうかであると。
自分の人生が有意義なものであるか、生きる価値があるものであるか、改めてそんなことを考えるのならば、それは誰との比較でもなく、父母や兄弟など自分に連なる人たちがいて、家族がいて、知人や友人がいれば、それが十分な答えに思います。例え自分では大しこともできず、決して誇れるものではないにしても、それは自分だけのものですしね。
さて、新しい本のページを開いて、次の「小さな旅」に出ることにします。時間がたっぷりあって、じっくりと腰を据えて好きな本を読む、これは「幸せ」です。