今日(2/17)の夕食は、近所のおいしいパン屋さんで「おかずパン」を買って、後はチーズやらハムやらもスーパーで買って、簡単に済ませることにしました。やきそばパン、カレーパン、フォカッチャ、チーズパン、チョココロネなどを買ったのですが、全部で1,200円程度。
ここ数日のテレビニュースでは、GDPが世界第四位に転落したと、マスコミは何がうれしいのやら、懸命に大騒ぎしていました。けれど、こんなに美味しいものが、こんな値段で食べられる社会に暮らす幸せを知っている普通の生活者は「それがどうした?それに、円安だからそうなっただけだろ」と落ち着いたものです。
「何かと何かはトレードオフの関係(両立できない関係、一方を達成するためにはもう一方を犠牲にしなければならない関係)にある」と人はすぐに考えてしまいます。「人」なんて主語を大きくする必要はないですね、「ワタシ」はすぐにそう考えてしまいます。というか、ずっとそう考えて来ました。
今でも、基本的にはその発想からスタートすることに変わりはありません。例えば、食べ物において、「価格(安い)」と「美味しい」はトレードオフの関係だとか、仕事において、「給料(高い)」と「ストレスがなく、楽しい」はトレードオフの関係だとか。
ところが、最近はこの常識?先入観?呪い?諦観?みたいなものが、どんどん壊れていっている様に思うことがあります。食べ物を例に取れば、この国では、価格とは関係なく、ほぼすべての食べ物は「美味しい」のです。特に農産物の進化には驚かされます。
シャインマスカットを初めて食べたときには、余りの衝撃に頭がクラクラしたのを覚えています。まさかブドウにおいて「イノベーション」が起きていたとは。価格は少し高めですけれど、恐らく世界で一番美味しいブドウを、私たちは手軽に食べられるという奇跡。
それに、最近食べたミカンもまた、衝撃的に美味しかったのです。とにかく、最近は農作物を食べる度に「なんじゃこりゃ」と思うことしきりです。「安かろう、美味かろう」が、ついに実現してしまったという歴史的な瞬間に、私たちは立ち会っているのかも知れません。
もはや、「高い」から「美味しい」なんてことはなく、価格に関係なく「食べたいものを食べて満たされる」時代に突入していたんでしょうね。だって、何を食べたって、美味しいんですから。これ、根本から私たちの価値観を覆してしまう様なことが起きているんですよ、きっと。(少し大げさ)
それで、この「一方を達成するためにはもう一方を犠牲にしなければならない関係」という窮屈な呪いを、仕事においても、若い人たちを中心にして、みんなでカリカリと壊し始めている様に思うのです。「自分と家族の幸せ」のために「辛い仕事でも我慢する」という、基本構図が終わり掛けているのかも知れません。
「自分と家族の幸せ」のためにする仕事が「辛い」と感じられるのであれば、そもそもそれでは、自分が幸せではないので、この基本構図自体が本当は破綻しているのです。だから、「自分と家族の幸せ」のためには、自分が納得して働ける仕事をキチンと選ぶ/何度でも選び直す、適当な仕事が無ければ「作る」必要があるんでしょうね。これを今の若い人たちは、「基本技」として修得している様に思うのです。
これから、どんどん、昔はフツーだった「トレードオフ」が壊れていくんでしょうね。そんなときに、かつてはそれに苦しめられてきた年寄り(ワタシだよ)が、逆にそれを拠り所にして、イジワルな言動をして、社会に害を為すようなことをしない様にしたいものです。首輪を自慢する犬みたいなもんですから。
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昨日、「弥勒の月」(あさのあつこさん)を読み終えました。帰宅する電車の中で、今週はずっと楽しませてもらいました。「シリーズ化」されているらしいので、急がず慌てずに続刊を読み進めていこうと思います。来週は、こりゃまた面白いと評判の「名探偵じゃなくても」を読み始めます。ワクワクします。