何十年も前にコンプリートしたクラッシック音楽のDVD全集があって、これを再度視聴し直しています。よくBS放送の通販番組でやっているもので、毎月自宅に一枚ずつ商品が送られてくるというものでした。全24巻、当時は結構なお値段がしました。今じゃ、ようつべで十分。

改めて観た感想は「DVDって、こんなにヒドイ画質だったかな」です。まぁ、正座して鑑賞するものでもないし、かえって妙なレトロ感があって、それなりに楽しめたりしますけどね。断捨離なんて言って、捨てなくてよかった。

さて、それは『遠慮』なのか『自制』なのか、はたまた『打算』なのか、それとも『甘え』なのか、日々の振る舞いの中で、ときおりそんなことを考えます。

今の私が過ごす基本的な毎日の姿勢は「自ら率先して動かない」だったりします。これには一応きちんとした言い訳というのがあって、それは「これからの世界は若い人が動かしていくんだから、若い人たちがしたい様にすればいい」という『遠慮』に近い考えです。

けれど、これは決して純粋なものではなく、ましてや慎ましいものでもなく、もう無理はできないよという『自制』から導き出した結論であり、楽をして流れに漂っていることで社会のおこぼれをもらいたいという『打算』に基づくものだったりします。

加えて、「こんなに大人しくしているんだから、痛い目にあわせないでね」という『甘え』も多分に混じっているのです。こんな不純な年寄りも同じ船に乗せなければならないなんて、若い人たちのかじ取りは大変です。しかも「権利」だけは大声で主張する、下船を命じたいよね。

年齢のことだけでなく、思えば、随分と私は正々堂々?と『甘え』を声高に訴えています。職場では「まだ慣れない仕事なんで、失敗しても大目に見て下さい」なんて言っちゃいますし、コンビニのレジでは「小銭がお財布にいっぱいあって、これを使いたいので時間が掛かってゴメンナサイ」とかも言っちゃいます。

どれもこれも「だから何ですか?自分のことなんですから、自分でやって下さいよ」というものばかりです。それができずに「身勝手な事情があるので、あなたに不利益が生じますよ。それがどうした!」としれっと宣言しているに他なりません。恥ずかしい。それに何たる傲慢さ。結局迷惑を掛けるならば、おかしな『甘え』など考えずに、ただ黙々とそれをやればいいだけなんですよ、本当は。

これから先、どんどん「心身の老化」を拠り所にした『甘え』の要求が増えてくるに違いありません。これを何とか少なくするための戦いが、年を取るということのメインテーマなのかも知れませんね。基本戦略は「他人に頼らざるを得ないことはしない」「周到に準備をする」「メモをする」なんてところでしょうか。

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いよいよ「雪」が降ることが確定的になってきました。私の住む東京郊外でも、月曜日(2/5)の午後から降り始めて、火曜日の未明くらいまで「湿った雪」と「みぞれ」になるのだそうです。気温が下がれば「大雪」になるらしい。

我家は行き止まりの坂の上なので、職場からの帰路が思いやられます。誰か雪かきをしておいてくれないかなぁ。年寄りの『甘え』ですけどね。

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