最近、認知症がマイブームです。先日のエントリでも書きましたが、ちょっと自分を疑っているものですから。それで、図書館で「認知症」関連の本を何冊か借りてパラパラと斜め読みをしています。近頃は「マンガで学ぶ」スタイルの本が多いので、楽をして、先ずはそういった本ばかりを読んでいます。どんどんと易きに流れる、その姿勢が認知症の引き金になったりして。
「認知症関連の本」を認知症になった人は読まないものと思います。「やばいな」と思っている人と、家族が認知症になってしまった人がメインの読者です。先ずは、後者に向けた「家族対応本」(勿論マンガ)をまとめて2冊読みましたが、いずれも認知症の症状例と家族がどう対処すべきかが書かれていて、これが、結構にショックな内容だったりしました。
先ず、基本は「治らない」ことが前提の対処療法というか、療法ですらなく、どう「認知症になった家族を扱うか」が書かれていて、読み進めていくと、だんだんに気分が落ち込んでいきます。
認知症患者本人に寄り添い、出来る限り幸せな気持ちで暮らしてもらうためにどうすべきかというヒントや考え方を教えてくれるのですが、「治ることが期待できない」、そして、結局は「患者が何を考えているかが分からない」こともあって、認知症患者本人も家族も救われない解決?に思えるのです。「それはそうなんだけど、こんなこと、いつも、いつまでもできないよ」なんて声が聞こえてきそうです。
何度も同じことを聞く、計算ができなくなる、言葉が理解できなくなる、深夜徘徊する、怒りっぽくなる… これを認知症患者本人にダメージを与えない様に、家族がヒヤヒヤしながら「対処」する。こりゃ、大変です。
私の父は死ぬ前の数ヶ月間、病院に入院していたのですが、ベッドで寝たきりになってほんの僅かな期間で、いきなり認知症が発症してしまったのです。ある日見舞いに行くと、いきなり30年も前に退職したハズの会社に、自分がまだ勤めているという話をし始めてびっくりしたことを思い出しました。
勿論家族が認知症になってしまったら、これらの本に書かれている様な内容にすがって、できるだけのことをする訳ですが、兎にも角にも、私もカミさんも愛猫も認知症にならない様にするべく、できるだけのことをせねばなりません。誰がなっても、みんな大変な思いをしますからね。
明日(7/16)は東京都下でも、気温が36℃程度になると予想されています。思ったよりも順調に、庭木の剪定というか枝落としが進んでいます。明日はいよいよ20年以上も前に庭に下ろした「もみの木」の枝をバサッバサッと切り落とします。あんなに小さかったクリスマスツリーがこんなに巨大になるなんて。