今日(12/6)は有給をとって、カミさんの病院での検査に同行してきました。朝一の順番ということもあり、サクサクっと対応が進み、8時20分頃から始まって、9時過ぎには全部終わってしまいました。午前中いっぱいはかかるかなぁ、などと思っていたので、たっぷりと時間が余ってしまいました。
それで、銀行に行ったり、百均に行ったり、図書館に行ったりと、用事を足したのですが、働いている人たちの姿を見るに何だか「私だけ休んでいて、申し訳ありませんねぇ」みたいな気持ちがしました。建物を作ったり、品物を配達したり、お店で品出しをしたり、ケータイ屋さんで呼び込みをしたり、コンビニでレジ打ちをしたり…
いろんな仕事があって、みんなが働いて、そして、それを利用して生活をする人がいて、互いに役割を変えながら、日常の中で目に見えない大きなものを皆が動かしている。そんなことを考えました。平日の街中を呑気に眺めるのも、よい気分転換になりました。
さて、世界中でいろいろと「変化」が起きている様子で、TVでのニュース映像に見入ってしまいます。アメリカのトランプさん返り咲き以来、ドイツ、フランス、韓国と大きな変化を国民が選択しています。(韓国は事情が違うか)
難しいことや、舞台の背景などは私には分かりませんが、多くの人たちが「今に満足していない」ことは確かな様に思います。人はなぜ「満足」できないか。自分が「不満足」を覚えるときの感情を思い返すに、その根っ子にあるのは「不公平」と「閉塞感」の様に思うのです。
よく「人は不幸には耐えられるが、不公平には耐えられない」と言います。正にそのとおりだと思います。大きくても小さくても、如何なる組織であっても、そこに不公平が生じれば、時を置かずして、その空間は崩壊してしまいます。実際にそんなことが起きていなくても、「そう思われたら」お終いです。ニンゲンというのは恐ろしいものです。「覚え目出度き」には悲惨な最期が待っているのです。
そして、ニンゲンは希望さえあれば、どんな困難にも立ち向かえますが、希望が無い、いくら頑張っても「今」を変えられない、即ち「閉塞感」に満ちた場所では、絶望し、やがて、それを打ち破ろうとする様に思います。
これ、職場とかで、自分が「望むことが実現しない、何ともならない」と感じたときに、中高年は諦めて沈黙するし、若い人たちは「転職しまーす」となる構造です。結局はどこに行っても「同じ」で、振り返るにその原因は「自分の中」にあったりするんですけどね。
それで、「不公平」と「閉塞感」を多くの人たちが強く感じることになった背景には、行き過ぎて、固定化した「富の偏在」と、どこでも誰もが他人のことを知ることができる様になった「情報の民主化」がある様に思ったりします。
「どこかの誰かが上手いことをやっていて、そんな社会の中で身動きが取れない」、そんな思いが、どんどん蓄積されていく。それが、今の世界の現状なのかも知れません。これは当分の間、消滅もせず、それどころか益々激化していくことでしょう。本当に、これから先、どうなっていくのやら。
平和で、面白おかしいニュースばかりを、ここしばらくは見過ぎてしまいました。だからどうだ?ということはないのですが、世界が変わっていくニュースをじっと見つめてしまいます。
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「クラシックロック」とされる70年代~2000年頃までのロックばかりを24h、ひたすらに配信しているインターネットラジオサイトがあって、ここ何年も楽しく聴かせてもらっています。大体6割くらいは知っている曲で、残りは初めて聴くものだったりします。
選曲してるのって、きっと同じくらいの年齢で、同じ様な曲を聴いてきた人に違いありません。これ、カナダのサイトなんですけど、遠いアジアの片隅で、あんたが流しているシーラカンスの様なロックのナンバーを、ニタニタしながら聴いているおじいさんがいるということを教えてあげたい気がします。あんたは、オレを幸せにしてるよってね。