隣りの空地、8月末からアパートの建築工事開始と聞いていたのですが、一向に始まりません。一所懸命にシルバー人材センターの方々が除草をしていたのが8月初旬、あれから1ヶ月、再び草が生い茂ってしまいました。雑草の生命力に驚くと共に、工事の遅延理由を邪推してしまいます。昨日も「家族連れ」の方が来て、いろいろと間取りの話をしていたのです。アパート建築はどうなったのでしょうかね。

庭の「かぼす」が今年は沢山の実を付けたことを何度となくエントリで書いていますが、ムダにしては申し訳とばかりにせっせと収穫しては食べ物に、飲物にと絞っているのです。この「かぼす」のとなりにレモンの木があります。

一昨年から着果し、徐々にその数を増やしていたのですが、今年はまったく実らずに、「今年はお休み」と思っていたのです。それが、昨日、かぼすを幾つか採りにいった際に、ふとレモンに目を向けたところ、木の低い部分、目立たぬところに僅か一つですが、立派に実ったレモンを見つけたのです。うれしかった。

当たり前ですが、「かぼす」も「レモン」も私のために実を付けてくれる訳ではありません。自分自身のため、自分の生を全うするために根を張り、枝葉をのばし、花を咲かせ、実を付けます。けれど、それが何の偶然か、神さまの差配なのか分かりませんが、私や私の家族を幸せにしてくれる。

いちいちこんなことから教訓を得ても仕様がないことですが、これって、結局は人間も同じなのだなと思うのです。一所懸命毎日を過ごしていれば、そのこと自体がどんな摂理によって分かりませんが、だれかを幸せにしている。そんなことを信じる。特に社会とのつながりが希薄になるにつれ、「それが一番大事!」と思うのです。少し元気が出ますしね。

私が取り残した「かぼす」の実は、いつしか地面に落ちてしまいます。その中のほんの僅かのものから芽が出るのです。3年程前に「かぼす」の下の草むしりをしていて気付いたのです。そのままでは日陰で成長もままならぬと思い、大き目の植木鉢へと移植し、日の当たる場所で大切に育ててきました。

今年は背丈が50cm程になったでしょうか。そこには毎年、アゲハ蝶がやってきて産卵し、小さな幼虫が生まれます。幼虫は「かぼす」の葉を食べて成長するのですが、それがあるときに急にいなくなってしまうのです。

私の家の周りは「鳥の楽園」の如く野鳥が多く、きっとこの子たちに見つかってしまうのです。それでもアゲハ蝶は何度となくやってきては産卵をするのです。みんな一所懸命、世の中は不思議な巡り合わせでできています。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。