早期退職をし、60歳を間近にして、まさか官公庁やシンクタンクの頭のよい方々の英知が集約されたビジネスレポートを週に5、6本も読むようになるとは思っていませんでした。自由な時間を手にして、好きな本を読み、興味のあることを広く浅く(時に少し深く)知りたい/見聞したいと考えていたのに、何ということでしょう。
実は、ビジネスレポートを読むことは「認知症予防」のためにやっていることで、新しい仕事で役立つ訳でもなく、急に「意識高い系」になった訳でもありません。最近、いろんな「流行り言葉」が分からなくなってきており、ここから「逃げちゃだめだ!」(by碇シンジ)と思い、何かと戦っているのです。
週に3回ほど、最新の政治/経済/社会に関するレポートが検索できるサイトにアクセスし、①余りに専門的ではない ②せいぜい30ページくらいのボリューム③PDFファイルの場合、文字が大きい という高度な選択条件に適ったものをわざわざダウンロードして、紙に出力までして読んでいるのです。これらのレポートを読む際のポイントは「筆者が当然の様に使っているが、私にはよく分からない単語」を拾うことです。そして、これをネットで調べて、「へぇ、そうだったのか」と頷くという訳です。まぁ、ネットに依存した廃人の暮らしです。
●レジリエント(すぐに立ち直る)
●トリクルダウン(金持ちが儲かれば、いずれみんな儲かる)
●ダイベスト(インベストの逆、投資を引き上げるよ)
●オーセンティック(モノホン、思えば昔から聞いた言葉だけれど意味も知らずに生きてきました…)
●ブラックスワン(滅多に起きないが起きれば大惨事)
●VUCAの時代(未来のことは分からないということ)
●リスク耐性の強化(何だか、気に入っている人が多く決め言葉の様に多用されるが、意味はそのまんま)
などなど、私のノートには日々、多くの「未知との遭遇」が記録されていきます。
しまった… 私が毎日呑気に暮らし、週3日しか働かないうちに、世界中の人たちは私の知らない言葉でイカした議論をしていたのです。普通はこういうことをしているうちにすっかり世界動向や社会問題に詳しくなり、「新しい自分」を見出すという美しいストーリーが期待されるのですが、現実にはそんなことは起きません。この年になれば「新しい自分」も「本当の自分」もいないことはよく知っているのです。
しかし、こうやって言葉の意味を知ってしまうと、誰かに喋ってみたい、会話で使ってみたいというささやかな欲望が頭をもたげます。恐らく近々にも私の周囲には被害者が出るのです。明らかな言葉の誤用による気持ちの悪い話しを聞かされるのです。そこには悪意も他意もヒラメもありません。ごめんなさい。
どうやら、私は「認知症予防」だけではなく、新しい楽しみを一つ見つけたのかもしれません。
そして、筆者の方々の考えや思いを集約したレポートを数多く拝読するに、沢山の人がいて、いろんなことを考えて、いろんなことを言って、そんな混沌の持つ得体の知れない力が時代を回しているのだと思う様になりました。よいも悪いもなく、正しいも間違っているもなく、ただただ混沌としているだけ。
大量の紙の出力に目を通し、その内容を分かったフリをしていると、私もまだ、かろうじてこの時代の片隅にいて、周囲の人々や事物と同じ時代を生きている様に思ったりするのです。