GW前半戦(3日間)も中日となりました。まだまだ余裕です。今日は東京地方、ほとんど「夏」でしたので、午後はずっと庭や家の周囲で、がしゃがしゃといろんなことをして遊んでいました。

庭仕事をさぼっていたので、いろんな植物がやって来て、中には花を咲かせている子までいます。ひときわ目を引くのが「アザミ」です。ここ数年はアメリカオニアザミという葉っぱが凶器の様な子がのさばっていたのですが、今年は優しい葉っぱで「しゅっ」とした感じの子がやってきています。

あまりに可愛らしいので、しばらくはそのままにしておくことにしました。引き抜いてしまった他の植物だって、同じく生きているのに不公平な話です。ゴメンね。

さて、ようつべをだらだらと眺めていると、「節約」動画というが画面で沢山紹介されます。これ、私がそういうものを好んで視聴してきたことに起因しているのですが、ここしばらくの間で視聴するのやめてしまいました。

突然にお金が手に入った訳ではないのですが、「節約するぞ」とか「我慢だよ、我慢」なんてことを頭のどこかに常駐させておくのは、私にとって非常によろしくない結果を生むのです。それは昔から分かっていたことなのですが、小心者なので、ついつい同じ罠にはまってしまいます。

そもそも「欲しいモノ」もほぼ無くなり、「新しいエクスペリエンス」みたいなものにも関心がなくなっているので、特にキビしく「節約」なんてことを考えなくともよい状態になりつつあるのですが、頭の中ではすぐに「節約」「我慢」の意識が発動してしまいます。年取ったら、そんなにお金なんて使いませんって。猫用品以外は。

「我慢」「節約」が私にもたらす「よろしくない結果」とは、その反動による「欲しくもないものを買ってしまう」という悪癖です。特に欲しいものなど無いハズなのに、普段チマチマと「我慢」「節約」を繰り替えていると、ふとした機会に突発的に「不要な何か」を買ってしまいます。辛いこと?をしている代償を無意識に求めてしまうんですかね。

当たり前のことですけれど、必要なものを、必要なだけ、必要なときに買う。常に「我慢」「節約」という意識が頭から離れないと「安いが好みではない服」「100円節約して満足のいかないランチ」「大容量で結果使い切れない食品」みたいなものが、先程の代償とは別に小さな失敗感として蓄積されていく様に思います。結構、これが効く訳です。

がんばったけれど報われない、そんなどよーんとしたわだかまりが「不必要な買物」として発散される、すごく単純でバカらしい図式がそこには横たわっています。だったら、「我慢」も「節約」もしない方がずっとよいことになってしまいます。

但し、この話と「自分の財力」というのは別の話です。そう、「使える範疇でしか使えない」のです。無理の無い予算枠の中で最高のチョイスをする、これだな。単に考え方の違いかも知れないけれど。

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折り畳み傘の「袋」ってあるじゃないですか、あれ、無くしてしまうとストレスなんですよね。最近はマイクロファイバー素材の傘ケースというのがあって、とても便利なんですけど、やっぱり傘を買ったときに最初に付いてきたペラペラで、ジャストサイズの「袋」がないと落ち着きません。私の茶色の傘の袋、今頃どこにいるのでしょうか。

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