退職を区切りとしてそれ以降の日々を「老後」と考えるのであれば、退職して数年も経てばそろそろに「(老後の)始まりの終わり」です。つまり、いつまでも若いつもりで「老後のビギナー」なんて言ってはいられないのです。ようこそ、老後のど真ん中へ。
何かが「終わった」後に振り返って、そういえば、あれが「終わりの始まり」だったなとしみじみと思う、こんな風にこのフレーズは使われる訳です。例えば、1868年に江戸城の無血開城で幕を閉じた「江戸時代」の「終わりの始まり」は、1853年のペリー率いる黒船来航であり、止むを得ない「開国」であったという具合です。
当時の人たちも江戸幕府が意外にも簡単に「開国」してしまったことで、この体制/統治が未来永劫続く訳ではない、世の中を変えることができると感じたことが、「明治維新」へと繋がった訳です。多くの人が変化の兆しを感じる象徴的な出来事があって、そこから大きな車輪が動き出すに違いありません。
ここ数年の間に、誰でもが変化の兆しを感じる出来事が幾つも起きています。それはコロナ禍であり、ロシアによるウクライナ侵攻であり、激甚化する自然災害だったりします。きっと私が気付かないだけで、もっと多くの「終わりの始まり」に関する兆しが出されているに違いありません。
コロナ禍は、日本的雇用慣行である「終身雇用」と「年功序列型賃金」の「終わりの始まり」であったと、10年もしないうちに語られる様になるかも知れません。結局、テレワークをしてみたら、そんなに人もオフィスも、ましてや「分厚い中間管理職」など必要でないことがあぶり出されてしまった訳です。それに、今の若い人たちの間には「不公平感」「閉塞感」が渦巻いていますしね。
ウクライナ侵攻は、大戦後のアメリカ一強の世界、これまでの世界の勢力図の「終わりの始まり」であったとこれも遠くない未来に語られる様になるかも知れません。平和で平等なハズのグローバリゼーションの崩壊、エネルギー/食料危機、世界同時株安… 世界の多極化が一気に進み、私たちが生きてきた世界が大きく変わってしまうかも知れません。
ここ数年激甚化する一方の自然災害は、四季を持つこの国の穏やか気候の「終わりの始まり」であったと何十年か先に思い起こされる様になるかも知れません。「記録的XX」「数十年に一度のXX」、こんな言葉をニュースで聞かない日はありません。今ですら、日本には既に四季はなく「夏」と「冬」の二季になってしまったと多くの人が言っているのです。春も秋もなく、桜と紅葉は一瞬のイベントであると。
最近のニュースを見聞きするにこんなことを考えたのです。自分が老いさらばえる一方なので、何だか「ネガティブ」なことばかり考えてしまうのでしょうかね。きっとそうなのでしょう。
私にとって、次の「区切り」は65歳ということになります。少し前までは何とか70歳までは「社員」として働くことを考えていましたが、最近は65歳以降はバイトでもいいかなと考えたりしています(本当はよくない)。
何とも「65歳以降で電車に乗って通勤している」イメージが沸かないのです。これは大事な兆しです。そんなことを考えると、まだ何年も先のことではあっても、いよいよ長きに渡った労働人生の「終わりの始まり」に至ったのかも知れません。とても小さな話です。