うつ病の場合、必ず発症する症状として「食欲減退」と「不眠」があるのだそうです。私の場合、どんなに気分がどんよりしていても、やる気が出なくても、食欲はあるし、いつの間にか居眠りはしてしまうし、どうやら「うつ」とは程遠い様子です。私にやる気が出ないのは、ただサボりたいだけなんだな、きっと。
「XXしてない人には分からないよ」というマウントを取ってくる人が、この星にはきっと何億人、何十億人といるに違いありません。でもね、その裏返しとして「XXした人には分からないよ」というのも事実であることを忘れてはいけません。言いたいことは「どっちでも同じ」ということです。だって、両方を経験することはできないのですから。
思うに「xxしてない人には分からないよ」という文脈は、非常に意地が悪い話の進め方の様に思うのです。例えば「ラリーで車を走らせたことがない人には、あの感覚は分からないよ」と話すクルマ好きのオヤジがいたとします。これ、大抵の人にとっては、ここで話はお終いですよね、この後、どう話を展開されてもその人から「分からない」って断言までされているのですから、共感のしようもありません。余程、この話を聞いてあげたら大金でもくれるなら、あくびをしながら聞きますけれど。(本当は聞いていない)
だから、こういう「xxしていない人には分からない」文脈というのは、同じ経験をしたお仲間の間でしか通用しない、許容されないものであることをわきまえるべきだと、さんざんその被害にあったり、逆にさんざん犠牲者を生み出してきた私は思うのです。気を付けていないと、つい、言っちゃうんですよね。
今日も、同僚とお喋りをしていたときに「猫ちゃん」の話題になり、私が愛猫のことを少しばかり話したのです。世界一可愛いとか、宇宙一賢いとか、そういうことを。その同僚は猫ちゃんと生まれてこのかた一度も一緒に暮らしたことがなくて、「トイレの始末とか大変だろ」とか「犬のような忠誠心はないだろ」などと質問をしてくれます。相手に質問をしてくれるだけでも、この同僚は素晴らしい人なんですけどね。
それで、つい「一緒に暮らしたことがないと分からないのですが」などと妙なマウントを取ってしまったのです。これ、何だか自慢であり、自分はあなたが絶対に知らないことを知っていて、ありがたく拝聴しろと言っている様なものですよね。ううむ、よろしくありません。わざわざ、こんな「意地の悪い」文脈を使わなくても、猫ちゃんの魅力は幾らでも伝えられるのにね。
でもね、「猫ちゃんと暮らしたことがないと分からない」ことは、確かにあるのです。それは「真夜中でも、早朝でも起こされたら、起きなければならない」ということなのです。可愛い声で「ねぇ、起きてよ、お腹すいた」なんて鳴かれたら、これを断れる訳はないのです。ごそごそと眠い目をこすりながら起きては、オヤツをあげたりして、しばらく一緒に遊ぶことになるのです。
だから、猫ちゃんと暮らすと、みんな極度の睡眠不足になってしまいます。ちょっとマウント取ってしまいましたね、えっ?少しもうらやましくない?…そうですか。
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「おせち」の中にあっても、昔は絶対に食べることがなかった「黒豆」が今では大好物です。「おせち」と言わず、カミさんに頼んで、ときどき買ってきてもらっては食べています。「黒豆」だけでなく、「豆」料理であれば、大体何でも美味しいのです。
近所にネパールの人がやっているカレー屋さんがあるのですが、ここでもやはり「豆カレー」を食べてしまいます。チキンや羊の肉よりも「豆」が好きなのです。そんなに「豆」を熱く語るわりに、グリーンピースだけは苦手なんですよね。よく分かりません。