我家は行き止まりの坂のてっぺんに近いところにあって、始終、道を間違えたと思しき人たちが坂を上ってきます。少し前まではそれらしき人に家の前で出会うと「この先は行き止まりですよ」なんて教えていたのですが、ある時から何も言うのを止めました。いじわるではなく、「自分で確認をしないと納得しない」と思うからなのです。

私は昔から「サービス精神旺盛」な人で、随分とこの手の「頼まれてもいないのに教える、助ける」ということをやってきました。結果、それがよいことに繋がったり、感謝されたなんてことはほとんどありません。それどころか「うるせぇ」とか「ハイハイ、それは私の誤りでございましたね。ごめんね、ごめんね」などと、ちょっとした怒りを買うことすらあったのです。

だから、最近は他人の失敗はこちらが気付いても「教えない」のを基本にしているのです。さすがに何か事故につながる様なことであれば、そのことを伝えますが、それ以外は静観です。だって、誰のためにもならないことを一所懸命やって、双方共に不快な思いをしても何もよいことはないのですから。失敗とは自分で気付いて、それを納得しない限りは正すことはできないもの。当たり前ですが余計なお世話ということです。

そもそも、あまりにキョロキョロと周囲を見ているのがこの様な状況を生んでしまうとも言えそうです。だから、電車に乗っても、できるだけ外界からの情報をシャットアウトしてしまう。本を読む、音楽を聴いて目を閉じる、そのまま居眠りしてしまう。平和なこの国だから許されることかも知れませんが、こうするだけで随分と楽な気持ちになれます。

自分でいうのも何ですが、私は所謂「繊細さん」のタイプの人間で、この気付いたことを教えない、助けないというのがずっとできずにきたのです。それをしないことが何か「人間としての使命を果たさない罪悪である」といった強迫観念があったのです。

「繊細さん」の本(武田友紀さん)を読みました。きっと著者の方からするとまったくの「想定外の読者」に違いありません。かなり「気持ちが悪い読者」という訳です、私ときたら。それはさておいて、本の中には「うんうん」と頷けるところも多く、この「そのままにする」こともかなりのページを割いて書かれています。みんな同じ思いをしていたんだな。こんなおじさん、おじいさんでも少し気が楽になりました。

生まれつき「繊細な人」というのは5人に1人存在するそうで、それ程の希少生物ではありません。実際はみんなだれでも「繊細さん」なんでしょうけどね。それにしてもいつまでも冷蔵庫の中にいるような寒さです。みなさんご自愛下さい。余計なお世話でしたね。

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