結局サラリーマンというのは「承認欲求のお化け」みたいな生き方だったんだなと思うのです。それは決して悪いことではなく、ひとり一人のその本能こそが会社、強いては社会を前へ前へと押し進めていくのですから。それに会社はこれを利用する様な仕組み、仕掛けを巧みに至る所に張り巡らせているのです。けれど、これが行き過ぎると「覚えめでたき人」が会社中に溢れてしまうことになります。「上司にどう思われたかな」、つまらない心配でみんな夜も眠れません。会議中は「こっくり」してるけどね。

長年勤めた会社を退職し、再就職した会社でもしばらくはこの「承認欲求」、つまり「よく思われたい」「評価されたい」という他者承認と、「オレはこれくらい仕事ができる」という自己承認の双方の本能が発動していましたが、再就職から一年+αが過ぎて、「働くことにおいては」キレイさっぱりこれらが無くなりました。

こうしてブログを書いているくらいですから、社会的には「誰かに思いを知ってもらいたい」という承認欲求(他者承認)はあるのです。まぁ、これは社会的な生活を送る限り、死ぬまで持ち続けるに違いありません。自己承認については「オレはこんなこともできないのか」という自我崩壊が既に始まっていて、いずれ自然にその思いは消滅してしまうことでしょう。

さて、再就職した会社で「承認欲求」が無くなった理由は「げんきんなもの」です。私が再就職した会社では「中高年採用」の社員には「評価制度」がなかったのです。つまり、誰とも比較されることなく、さらには絶対評価すらなく、ひたすらに規定の給与が支払われるだけなのです。そして昇給もありません。賞与も決められた月数のものが年に2回振り込まれるだけなのです。中高年からの仕事というのは、大体がこういうものなのです。びっくりでしょ。

そうなると随分と働く意識が変わります。とにかく「自分の手柄」など切り出す必要がないのですから、ひたすらに「役割」として与えられた仕事を「正確に」「早く」「楽に」終わらせることだけに専念します。こういう世界があったのかという妙な感動を覚えました。

思えば、再就職した最初の頃、これまでの習性から、一所懸命自己アピールしていた私は何とも滑稽な生き物だったのです。ちゃんと会社は「評価は無いから、安心して仕事をしっかりやってね」って明示してたのにね。

これまでのサラリーマン人生でも「このやり方」で過ごしてきたら、きっと「別の会社人生」を送り、「別の労働観」を持てたのだろうなと思うのです。それにあこがれる訳ではありませんが、何だか「楽だった」だろうなとは思います。

だからと言って、仏頂面をして「誰も近寄らないでオーラ」を出したりせず、職場では適度に周囲に気を使い、「ギスギス」することはないようにしているのです。ジョークを言うときは「ウケたい」という他者承認が頭をもたげますけどね。

自己アピールをしないで働く、この1年で得られた私の「新しい技」です。まだまだ長い私の労働人生において、これは大きな財産です。ニール・アームストロング船長曰く「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」(1969.7.20)

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