昔、有名な作曲家で、クラシック音楽の評論家としても名の通った人の本の中で「何で交響曲は滅んだのか」という考察を読みました。答えは、この形式を幾人もの天才たちが極めた結果、もはや為すべきことがなくなってしまったというものでした。
本当はもっと複雑で、難しい話なのだと思うのですが、私としては、簡略化されたこの解釈で十分に納得がいったのです。何故、今も交響曲の名曲が生み出されないかという謎への答えとして。
勿論、それらしい曲を交響曲のフォーマットに沿って作ることは今もできるのでしょうが、そこには「新しい価値」や「革新的な感動」は最早盛り込むことはできないのです。何故なら、先人たちがそれをやり尽くしてしまったから。
それで、最早死に絶えてしまって久しい交響曲たちですが、今も、そしてこれからも私たちに感動を与え続けてくれるです。一つの閉じてしまった宇宙のまばゆい輝きって感じですかね。ちなみに私が好きなTop5は、ドヴォルザークの8番、ブラームスの4番、ベートーベンの9番、シューベルトの未完成、ブルックナーの4番ですかね。私は分かり易いメロディの曲が好き。
さて、思えば、ほとんどの人というのは「失敗した後の人生」を生きている訳です。私の人生などは、失敗に次ぐ失敗、失敗 after 失敗で出来上がっているといっても過言ではありません。仕事は勿論のこと、大切に思ってくれた人たちに何も返せなかったことやら、何も望まなかったが故に何も達成できなかったことなど、失敗リストなんか書いた日には、大長編が出来上がってしまいます。えっへん。
それで、「続けていればいつかは逆転できるぜ」なんて、ギャンブル中毒の人みたいなことを言って、懲りずに失敗をし続けるというのも一つの手ですが、大抵の人は年老いて、活動できる余地が縮小してしまい「失敗する機会」すら失ってしまうのです。それで、「失敗した後の人生」をいろいろな思いを噛みしめながら生きていくことになります。
昔、「花の命は結構長い」というCMのコピーがありましたが、枯れ木であるワタシなんか既に枯れているのですから、このまま朽ちてしまうまで、結構どころか、やたらに「存在期間」が長いことが悩ましいのです。枯れ木であっても、不思議とお腹は空きますから、この厄介な「失敗した後の人生」を何とか漕いでいかねばなりません。
老人が苦々しい表情をしているのは、こういう時間を過ごしているからだったのですね。でもね、その世界に入門して気付いたことは、これに対処する方法やら薬やらは、未だに世界中の誰も、発見も発明もしていないということなのです。
きちんと噛みしめて、きちんと悔いて、きちんと諦めて、きちんと忘れる。成すすべもなく、避難する場所もなく、ただ受け入れるのみ。仕方ないよね、たくさん失敗したんだからさ。でもお腹は空くのです。何か美味しいものでも食べようっと。
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東京地方はずーっと雨が降っていなくて、乾燥してカラカラです。室内の湿度計を見たら、なんと21%しかありません。適正な室内の湿度は40~60%らしいので、これは何か手を打たねばなりません。ネットでググったら、濡れたタオルを干しておけ!とのことなので、お金も掛からないし、早速やってみることにします。部屋が乾燥していると「かかと」部分がひび割れたりして、痛いんですよね。