庭にやって来る鳥たちのために直径50cm、最深部15cm程の水盤に水を入れておくのですが、1週間でほとんど干上がってしまいます。東京地方のカラカラ、相当にヤバイ感じになってきました。雨でも雪でもよいので、そろそろ降ってくれないかな。大雪で困っている地方があるというのに、上手くいかないものです。
さて、どんどん「当たり前」が自分から遠ざかっていく様な感覚に、最近、しばしば囚われます。特に今の若い人たちの「当たり前」を知るに本当に驚かされます。一部の人だけなのかも知れませんが、普通に英語が話せて、ダンスだって学校の授業でやっていて、電子機器は直観的に扱うことができる。
こういう「当たり前にできる」ことが圧倒的に増えているだけでなく、「できないものの解き方」に関して、旧世代とは隔世の感があったりします。具体的には、AIと集合知の活用です。昔は「解く」ことが評価ポイントだったのに、今では「解くのは当たり前で、その先をどう考えるか」が勝負の分かれ目の様に思えます。大変な時代になりました。
例えば、データや事象を指定し、適切なフレームワーク(3CとかPESTとか)を指示すれば、AIが瞬時に精緻な分析をやってくれます。今は世の中に、無償で使える生成AI(ChatGPT等)が幾つもあって、子供でも老人でも簡単にこんな作業をAIにさせることができます。つまり、そこまでは「当たり前」なので、その先にどれだけ「ユニークな視点」、「きらっと光るアイデアなんてものを盛り付けられるかが、今の若い人たちにとっての腕の見せ所ということになります。
「解けないもの」「時間が掛かってしまうこと」「自分ではできないこと」、こういうものがもはや問題解決の「障害」にはならない時代が来ていて、それを踏まえてガンガンと先に行く、私なんかが現役だった頃と明らかに「意識」が違うんでしょうね。社会の変化が、これから先、かつてない程の速度で進んでいくに違いありません。
それで、老人の仲間入りを果たしているワタシとしても、何とかこういう「社会の進化」みたいなものに付いていきたいと思ったりするのです。正直、取り残されてしまって、「淋しい」思いをしているのです。どんなに「いいんだよ、もう放っておいてくれよ」とか「そんなことを知らなくても十分幸せだよ」なんて強がってみても、今生きている世の中の仕組み、仕掛け、ダイナミズムみたいなものを齧っておきたいのです。まぁ、ここ何年か新しい知識を得ることをさぼっていたら、世の中、エライことになっていたってことです。
それで、今日のエントリのサムネイルはChatGPTに描いてもらったのです。プロンプト(生成AIへの作業指示)は、「夕暮れの海辺で奥さんとふたりでいる老人を描いて」なんて感じChatGPTにお願いしました。(ちなみに画像の老人は、ワタシとはまったく似ていなかったりします)
勿論、「こんな感じのブログを書いて」なんてプロンプトを投げれば、瞬時に「それらしい」ものを書いてくれます。正しくて、役に立つ情報でいっぱいのものを。今度、しれっとAIに書いてもらおうかな。
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ほぼ風邪は完治したものの、時折咳込んでしまうことがあります。今のご時世、そういう人は周囲からまるで非難する様な目で見られたり、急にみんながマスクをしたりするので、すぐに何か「飴」を口に放り込んで咳を止めなければなりません。
この「飴」は咳止め用途のものでなくとも、私の場合、何でもよかったりします。それなら美味しいものがよい訳で、しばらく前は「ヴェルタース」という塩バター飴をよく舐めていましたが、流石に飽きて、最近は昔ながらの「べっこう飴」を買っているのです。子供の頃に口にしたものが、結局は美味しかったりするんですよね。