隣の隣の駅の近くに、恐らく15時くらいからやっている立ち飲みスタイルの焼き鳥屋さんがあって、いつか行ってみたいと思っています。そんなに慌てて行かなくてもよいので、いつか昼食を食べた後にぷらぷらと散歩に出かけ、その途中で寄ってみることを企んでいます。家から5kmくらいの距離を暑いさなかに歩いて、だらだらと汗をかいて、それからお店にたどり着いて飲むキンキンに冷えたビールはきっと最高においしいハズです。
こういう「楽しそうだけれど、ちょっとやるのが憚られる」みたいものを、これからは余り何も考えずにやってしまおうと思っています。この焼鳥&ビール以外にも、近くのコーヒー豆のお店がやっている「モカ・ソフトクリーム」というのがあって、これを年甲斐もなく食べてみたい訳です。真昼間にへらへらと街中を歩きながら。
「もし あと1年で人生が終わるとしたら?」(2021.小澤 竹俊さん)という本を読みました。おおきな活字で、文字間も大きく、大変に読みやすく、170ページ程度のボリュームで、1時間余りで読み終えることができました。よい本でありました。
著者の小澤さんは多くの患者さんの死を看取ってきた「ホスピス医」の先生で、さまざまな人が死の直前に何を考えたのかをずっと見つめてきた方だそうです。そんな先生の言葉ですから、静かな口調で飾り気がないけれど、見事にこちらの核心を突いて、刺さってきます。
それから、先生が出会った余命僅かとなった人たちの言葉、振る舞いというのが数多く紹介されているのですが、人というのは最期にきちんと自分を生き切るのだなと胸を打たれました。仮にではなく、本当に余命1年と宣告されると、多くの人は今まで見えていなかった自分のいた周囲を見つめ直し、自分の人生を肯定することができるのだとか。
ホスピスで行われる「ディグニティ・セラピー」のことが紹介されていて、幾つかの質問を投げ掛けることで、患者に自分の人生を振り返ってもらうのだそうです。質問の内容は「人生の中でもっとも思い出深い出来事は何ですか?」「大切な人に伝えておきたいことはありますか?」といったもの。これらを思い出すこと、考えをまとめることで、次第に自分の人生を肯定することができるようになる人も多いのだそうです。
まだまだ余命は長くあるものと信じてはいますが、この質問を自分に投げ掛けると、確かに取るに足らない、何も誇らしいことがなかった人生であっても「あの時は楽しかったな」「あの時は大好きな人たちが一緒にいたな」と思い出すことができて、これまでのすべてをひっくるめて「よい人生だった」なんて思える気がします。そんな風に物語を終わらせる様に、ニンゲンの脳は出来ているんですかね。ちょっと安心しました。
とは言え、元気で体が動く中に、自分勝手で我儘な「やりたいこと」は、やってしまいたい訳です。午後のビールに、街中でのソフトクリーム、それから寒い冬の日の公園で食べるホクホクの焼き芋、何だか飲んだり食べたりばかりですけれど。まだまだ「欲」が尽きません。