昨日、ケーキ屋さんで面倒なことに巻き込まれそうになりました。お店はそこそこに混んでいたのですが、美味しそうなケーキが並ぶショーケースの向こうにいた店員さんが、私の顔を見て「何にしますか?」と聞いてきたので、「ショートケーキを二つ」と注文をしたのです。
それで、ショーケースの端にあるレジでさくさくと会計をしてもらい、退店しようとしたのですが、何やらショーケース前で「もめ事」が起きています。「私は列に並んで待っていたのに、どうして別の人の方が先に買えたのか」とイキっている人がいます。間違いなく「別の人」とは私のことなのです。
私としては、店員さんに注文を聞かれて答えたまでなので、誰かに責められる筋合いはありませんが、面倒事は御免です。どうやら、「この人」の怒りはお店が自分を軽んじた?ことに向けられている様なので、これ幸いとばかりに、とばっちりを受ける前に秒の速さでお店を飛び出しました。
その後のことは不明です。やだなぁ、お店の人が「あのお客さんが強引に割り込んだんですよ」なんて説明をしていたら。しばらくは、あのお店には近寄らないことにします。
さて、「働かないおじさん」というパワーワードは2013年頃には既に使われていたらしいので、決して最近の流行り言葉ではありません。既にこの言葉が意味するものを、全国民が共有する「立派な日本語」として、確固たる地位を得ているものと言えます。その揶揄や軽蔑のニュアンスもしっかりと含めて。
これ、私なんぞは当然ながら「吊るしあげられる」立場の方なので、このエントリでは「そんな目で見られている」人の心情というのを考えてみたいと思うのです。
ちなみに、私は今、「躁状態」の如くに忙しく毎日働いている状態であり、恐らく誰にも「働かないおじさん」とは呼ばれていないと思ってはいます。「仕事ができないおじさん」とか「使えないおじさん」とか亜種の名前で呼ばれているかも知れませんけどね。
けれど、思い返せば、以前に長く勤めていた会社では、退職前の数年間というのは、きっと周囲の人たちから「働かないおじさん」と呼ばれていたに違いないのです。それで、意外にも?「働かないおじさん」というのは、本人はそんなことを自覚していないものなのです。だからこそ、周囲からは疎まれるんですけどね。
もし、そんなことを自覚していたら、そんな精神状態を長く耐えるなんてこと、普通はできませんからね。「そもそもオレの仕事って何だよ」とか「干されちまったなぁ」なんて負い目を背負いながらも、「だけど、オレにはオレの事情があって、会社、辞められねーんだよ」「この状態は楽だから、何を言われてもいいや」なんて思いを胸に抱えて、何年も職場で過ごすというのは「地獄そのもの」だと私は思ったりします。
だから、自覚というか、そういう目で自分が見られていることに気付いた人から順に、ポツリポツリとその場から去っていくことになるのです。別に悲惨な話でもなく、ただ、当たり前の会社の「新陳代謝」として。本人の「能力」なんてものとは別に、遅かれ早かれ「働かないおじさん」になっていくのが勤め人の宿命かも知れません。
世の中的には「働かないおじさん」というのは「好きなだけイジってもいい」認定がされているので、いろいろと面白おかしく、長らく語り継がれきた「都市伝説」みたいなものなんでしょうね。悲しい話なんですよ、本当は。
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「GWにやりたいことリスト」というのを性懲りもなく、今年も作り始めました。結局は最終日あたりで、辛い敗北感に苛まれるだけなんですけどね。「GWは始まる前が一番楽しい」って言うじゃないですか、言わない?