家の桑の木、枯れてしまったかなと思ったのですが、今朝、たった一つですが、新芽が出ているのを見つけました。歌の歌詞ではありませんが「うれしくて、うれしくて、言葉にならない」って感じがしましたよ。
さてさて、それの「善し悪し」は別として、人は「ズルく生きる」ことを選んでしまいガチです。(私だけか) これ、不思議なのは自分は容易くそれを受け入れてしまう一方で、他人が「ズルく生きている」ことは許せないという心理です。他人がそうであっても、自分が損をする訳ではないのにね。
私が今日のエントリで書いている「ズルく生きる」というのは違法なことをするとか、誰かをだますということではありません。自分の心の中で「他人よりも楽ができているな」とか「上手いことできているな」とか「うっしっし」とか思って、それが生活の一番根底に居座ってしまうことです。
「賢い選択」と言えばそうなんでしょうけれど、これって自分に掛けた「呪い」みたいなもので、何か大事な判断が迫られたときに、何よりも「ズルく生きていること」を優先してしまいガチだったりします。
私の場合、「楽」というのは漠然と「ズルい」という感情に紐づいているところがあります。人それぞれなので、今さら「意識改革」を図るツモリもありませんが、何か「楽」な状態にいるときに、少しでも「誰かが大変なことを引き受けてくれている上に成り立っている幸せ」なんて思いが頭をよぎると落ち着かない気持ちになったりします。
幸いなことに、今の状態は「楽」ではあるものの「自分で手にいれた」感が強いので、そんな思いをしなくても済んでいます。本当は私が快適に暮らせる毎日というのは、「大変なこと」を引き受けてくれている沢山の人たちがいて成立しているんですけどね。身勝手なものです。
それで、後3年もしたら年金を受給する様になるのですが、そのときに果たして自分はどんな気持ちになるのでしょう。当然の権利なんて思うのか、今の若い世代の人たちよりも恵まれた受給ができてラッキーと思うのか、ありがたいと素直を感謝ができるのか。これから3年、私の考え方も変わるでしょうから、「そのときの自分」で臨むことにします。
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一昨日、カミさんと二人で外出し、4時間程家を空けてしまいました。これ、愛猫にとっては8年前に家に来て以来、最長の「ひとりぼっち」だったのです。過保護にも程があるのですが、うちの子はかなりの寂しがり屋なので、そういう育て方をしてしまったのです。
夜遅くに二人で家に帰ってきたら、家の奥の方から玄関まで猛スピードで駆けてきてくれました。可愛いいやら、申し訳ないやらで、むぎゅっとしてしまいました。