相手に他意も悪意もないことを知っているのに、イラっとする気持ちが湧いてくるならば、それは自分の中に別の不満や怒りの種があるからに他ありません。だから、そんなときはおかしなものを爆発させて、大惨事を引き起こす前に、何か美味しいものを食べに行くに限ります。それで大体は上手くいきます。
自分を構成するものを恥じたり、他人を羨んだりしてしまうのは、自分が何も「選んで」いないからだと最近思い当たりました。ここで私の言う「選ぶ」とは単に右左どっち?というものではなく、そのことに夢中になって、なりふり構っていられないという意味だったりします。
だから、本来、「選ぶ」というのはとても大切で、時間を掛けなければならないのでしょう。「何となく」とか「一番最初に目に付いたから」なんていうのは、本当は「選んでいない」のです。だから、他に良さそうなものを見つけてはあっちにふらり、こっちにふらり。
そんないい加減なことでは、選ばれたものは報われません。それはヒトでもモノでも同じことで、粗末に扱われた挙句に、ただポイっと捨てられるだけ。
だから、きちんと選び、選んだのならば、堂々と「これは私が選んだものです。最高でしょ!」と世界に向かって宣言ができるハズなのです。そのときに選んだものの「値段」「品質」「性能」「機能」「デザイン」… それにまつわるあらゆる属性はその瞬間にまったく意味をなさなくなります。後はそれに夢中になればいいだけ。だって、私が全身全霊をかけて選んだのですから。
エラそうなことを書いていますが、ほとほと自分の「選ぶ」決意の薄弱さに呆れているのです。これまでも、そして、今も。それにしてもランチを食べに行って、隣のテーブルの人が食べているものは、どうしてあんなに美味しそうなんでしょうね。
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愛猫が富士山麓の「ニジマス」のフリーズドライをあっという間に食べてしまったので、今日から「マグロ」です。これもフリーズドライのもので、大体「ニジマス」と同じくらいの量(14g)と値段(約700円)。いいお値段です。
今日、Amazonから届いたので、早速食べてもらっとところ、こちらもすごい食いつきです。これもリピ決定ですかね? 一度覚えてしまった「おいしさ」を取り上げるのも可哀想だし、さてどうしたものでしょう。