昨日(1/4)が仕事始めでした。昨日、今日と、まだ通勤電車も空いていて、世の中も「本気出すのは連休明けの1/9から」といった雰囲気がしています。一年も始まったばかりですし、静かに舟を漕ぎ出しましょうよ。
令和6年能登半島地震、時間が経つにつれて、どんどん被害の状況が明らかになっていきます。当初、テレビで見て、想像していたものとはまるで違う規模の大地震でした。一刻も早く、被災者の方々が日常を取り戻せることを祈るばかりです。そして、現地で救助、復旧に従事する皆さんにはひたすらに頭が下がります。ありがとうございます。
さて、昔も今も、「情報は力なり」です。社会において何かことをなそうとすれば、何よりも「情報強者」であることが重要です。例えば会社で出世しよう、ぐいぐいっとのし上がろうなんて野心に満ちた人にとっては「業務知識、仕事に関する情報」はともかくとして、「人、人間関係」に関する情報というのが欠かせない様に思います。
「こればっかり」というのでは何だか情けない感じがしますが、誰だって、自分のことをよく知っている人、自分を快適な気分にさせてくれる人と一緒に何かをしたいに決まっています。だから、そういった人のことを大事にする。だったら、そういう存在になればいい。
そこまで計算高くないにせよ、自分のしたいことを実現するために、周囲の情報を集めて、これを上手く紡いでいくというのは立派な術と思います。
それで、定年後に、それまでとは別の会社に再就職をした高齢者にとって、新しい職場の自分に戸惑ってしまうのは「ここ」だと思うのです。
良くも悪くも再就職で働く高齢者は、切り出された短期間での「労働力」に過ぎないことから、そういう「人、人間関係に関する情報」には無縁なのです。強いて言えば「蚊帳の外」という訳です。「いいんです、いいんです、XXさんは知らなくて」ということ。
それを「そんなものだよ、余計なことを考えずに済んで快適!」と考えるか、「何だか疎外され、孤立し、寂しい」と思うか、人それぞれとは思いますが、とにかく「昔の様には」いかないのです。そうですよね、それまで何十年も掛けて、情報網を張り巡らし、自らもその一部分として、くるくると回っていた世界とは違うのですから。
自分をからめとり、苦しめた「人、人間関係」という単なる情報の集まりに過ぎないものが、実はそれこそが自分の一部だったという皮肉な現実に、みんないずれ気付くことになります。そして、そこからが「高齢者の醍醐味」と私は最近は思っています。そう、ひとりで生きていく。
今の職場、同年配、私よりも年上の方も大勢いるのですが、皆、一応に「人、人間関係」には用心深くしている、というか、敢て「見ざる、聞かざる、言わざる」を不文律としているかの様に思えます。皆、ダメージなく生きるための知恵を貯えているのです。
それって、私こそがそうしているので、何も情報が入って来ずに、実はただ一人孤立しているだけかも知れませんが。でも、私にとっては、とても快適な環境だったりします。普通に暮らしていて、手のひらにひらひらと舞い降りてくる「ほっこりした情報」だけあれば、もはや十分な気がします。
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明日(1/6)から三連休です。特に何も予定もなく、どこにも行かず、家族以外の誰とも会話することもなく、年寄りの冬の暮らし方としては満点です。図書館に行ったり、買物に行ったりはしますけどね。