例年の様に、近所のお蕎麦屋さんから「年越しそば」をテイクアウトし、お昼に食べました。大きなエビの天ぷらがサクサクで、美味でした。来年も、再来年後も、10年後も、いつになっても、大晦日にこれを食べられます様に。
以前のエントリでも書きましたが、今年は本当に記憶に残る1年になりました。1月から12月まで、カレンダーを眺めると「あのとき、こんなことをしていたな」とか「こんなことを考えていたな」とかすぐに思い返すことができます。よい記憶も、困った記憶もありますが。
そんな「思い出がいっぱい」の1年の中で、一番に印象深いのは「無職の期間」のことです。それは、8月1日から10月半ばまでの75日間程度の日々。学校を卒業をしてから、ずっと「仕事」をしてきた私が、堂々と職業欄に「無職」と書いた時期のことです。
「働く」というのは大変なことで、そう簡単には「無職」にはなれません。いろいろと手続きがあって、しばらくの間はこれで忙しくて、「これからの不安」を思うこともありませんでした。葬式の後にいろんな対応に追われて、故人を失った悲しみを覚える余裕もないことに似ています。正直、「何かに忙しい」というのは一時の精神安定剤として、大いに役立ちます。
ハロワに行ったり、市役所に行ったりして、こんなバタバタを終わらせたら「しばらくはゆっくりできる」なんて思っていたのですが、実際は「これからどうする?」と早速考え始めてしまいました。
加えて、この時期には不整脈の手術日程の調整も行っていて、先が見えない中で、再就職すべく求職活動まで始めてしまいました。正直、結構、ぐちゃぐちゃでした。妙な高揚感があって、深刻に悩むなんてことはありませんでしたけど。
そんな中、ハロワと病院という「行き先」があったことには、今も感謝をしています。病院はともかくとして、「ハロワ」、大好きだったな。猛暑だった今年、アロハに短パンなんていい加減な恰好で、駅からハロワまでの道をテケテケと何度も往復しました。ハロワに到着して、キーンと冷えた空調に浸ると「天国はここにあったか」と思ったものです。
それで、無職だからこそ、ゆったりと病院でアブレーション手術(治療)を受けられたのもよい?思い出です。「入院していた日々が恋しくてたまらない」なんて人が結構たくさんいるそうですが、何となく「分かります」。
しばし、何もすることがなく、何も考える余裕もなく治療に専念し、病院のスタッフの方々によくしてもらえる。僅か数日間でしたが、それまでの人生で堆積した疲れとか、心の澱(おり)といったものが、一気に重さとなって、全身に降りてきた様に思いました。決して不快ではなくて、ただただ眠りたいという感じでした。
実際に「無職」を満喫したのは、次の仕事が決まってから出社日までの僅か2週間程度でした。その期間も結構に「無職」から「働く」に変わる手続きがあって、そこそこには忙しかったんですけどね。手術明けだったので、暴れることはできませんでしたが、近所をぷらぷらとして、「無職の平日」を楽しみました。あれは近くて遠い日々。
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来年(明日ね)には世界中の戦争も終わり、流行り病もなく、社会が通常運転となることを祈ります。大ハッピーがなくてもよいので、とにかく健康で、夢中になって毎日を送れます様に。皆さま、よい新年をお迎え下さい。