「大晦日は雨」らしいので、「少しだけの大掃除」もこれを見込んでちまちまと進めています。今日は主に外回りの仕事(落葉の片付け&洗車&玄関のデッキブラシがけ)をしたので、明日は家の中のこと(床&照明器具&お風呂の清掃)をします。その他(主に窓)は暖かい季節になってから、ということで。
数日前に仕事帰りの電車の中で、「高齢者の給料が低い理由」をというのをぼんやりと考えたのですが、何となく「これだ!」という答えに至りました。正解かどうかはさておいて、私なりには納得性の高いものだったので、少しドヤってしまいました。
以前のエントリでも書いたことがありますが、日本の場合、「給料の大半は対人関係の手数料」なのだそうです。本当に納得する言葉で、確かに若い頃、(逃げ場もなく)勤め先での仕事に人生を賭けている様な状態にあっては、この手数料をもらって糊口をしのぎながら、ひたすらに「団体戦」をやっていた訳です。
それで、高齢者が従事する仕事の多くは、こういった「我慢大会の様な仕事」に比べても、不自然な程に「給料が低い」のです。実際のところ、やっている仕事はそれまでに従事していたものと変わらない、もしくはもっとキツイものであるにも関わらず。
同一労働同一賃金などと声高に訴える人たちにとっても、どうやら高齢者の仕事事情は目に入らないらしく、すかっと社会問題から切り離されています。まぁ、年金をもらいながら働くなんてことになれば、(低い)給料+年金で、そこそこに中流階級に復活できたりしますからね。同情や、心配するに値しないのかも知れません。
仕事に貴賤はありませんが、「豊富にお金が生まれるところの仕事」と「大してお金が生まれないところの仕事」の違いはあって、前者の業界に就職ならぬ、就社できれば、この国では一生安泰だったります。それで、高齢者に用意されている仕事の多くは後者周辺のものなのです。例えば警備だとか、介護だとか、清掃だとか。
高齢者の多くが、そもそも「お金がないところの仕事」に就いているから、必然的に給料も低い、まぁ、これが正しい答えなのかも知れません。確かに、高齢者でも「お金がたくさん生まれるところの仕事」をしている人は多くの給料、収入を得ていますからね。
けれど、これだと「納得できない」「オレは失敗したのか?」「不公平だ」と憤る高齢者が続出することになります。そこで、私が見つけた答えというのが、「高齢者の仕事の多くには、対人関係の手数料が含まれていない」というものなのです。
そう、「給料の大半を占めるもの」が含まれていないのですから、当然に給料は低い訳です。逆に言えば、高齢者は「対人関係に悩む、気遣う、耐える」ことをしなくてもよいということになります。そもそも、この部分は勤務先から期待もされていませんからね。
勿論、好き勝手暴れたり、団体戦の継続に支障を来す様なことをしてもよいハズがありません。これは「対人関係の手数料」以前の問題です。けれど、昔の様に頼まれてもいないのに「人との間のことで、厄介なものを背負う」必要など、もはや高齢者には無いのです。
与えられた仕事をきちんとこなし、「人」に悩むこともなく、気持ちよく毎日を終える。高齢者に用意された仕事というのは本来、こういうものなんでしょうね。実際には、そんな理想的なところなんて、多くはないんでしょうけれど。
こんな「おかしな答え」が見つかったので、これまで以上に肩の力を抜いて、働くことができそうです。とは言っても、余り脱力し過ぎて「戦力外」なんて言われない様にしなければ。
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今まで冬に花を咲かせたことなどなかったのに、我家のバラたちがそれぞれに美しい花を幾つも咲かせています。今年の夏は余りに暑くて、花を咲かせる元気もなかったので、今になって俄然張り切っているのでしょうか。健気に頑張っているので、少し高級な液肥を差し入れしました。いよいよ今年も明日を残すのみとなりました。