少し前までは「何で、こんなに沢山あるの?」って少し邪魔にしていた「バターナイフ」が、ここしばらく1本しか見当たりません。
カミさんと二人暮らしで、滅多にお客さんも来ないし、来たとしてもパンにバターを塗ってもらう様なシーンも想像できないので、当面はこれでも特段に困ることはありません。けれど、やはり最低もう1本だと思うのですが、外出してもつい買いそびれてしまいます。
それで意を決してAmazonでポチりました。買ったのは1本600円程度の「手の熱でバターを溶かして切る」という商品。値段が値段なので、1本だけ買うというのも何だか忍びなく、2本購入しました。デビューさせるのが楽しみです。
さて、最近?なのかよく分かりませんが、「廃墟」がブームです。よく考えるとローマのコロッセオをはじめとする遺跡だって「廃墟」な訳で、そうするとずっと昔からニンゲンは「廃墟」が好きなのです。
つまり「廃墟」だけれど、必要とされているので、「廃墟」の状態で保存されるという不思議なことになっています。肝心なのは「必要とされているか」であって、そこには「役に立つ」とか言った実利は無関係だったりします。
(定年などで)仕事をやめた人が活力を失うというのは、「必要とされている」実感がなくなってしまうことにある様に思います。実際は勤務先で大した成果も上げていない定年間近のオジサン、オバサンでも、職場で「ありがとう」とか「助かりました」なんて言われると「自分は必要とされている」という脳内麻薬が溢れ出して、心身共に力が蘇ります。
それが仕事を辞めてしまうと、「必要とされている」感を得る機会もなくなり、社会の中で迷子になってしまいます。本当は会社じゃなくても、働くことじゃなくても「必要とされている」と思えれば、何でもいいんですよ。それさえあれば、幸せに生きていける様に思います。
8月からずっと家にいる様になって、外出しているとき以外はほぼずっと愛猫が近くにいてくれます。膝に乗ってきたりする性質のない種類(メインクーン)なので、飛び付いてきて甘えたりはしませんが、遠くても私から2mくらいの距離にいて、寝たり、起きたりしています。
時折、朝昼晩構わずに「お腹が空きました」とか「トイレに行きます」とか強烈に要求をしてきます。面倒だなと思うときもありますが、「必要とされている」と思うと何ともうれしい気持ちになります。ただの下僕ですけどね。
そうそう、昔、ガスコンロの上の五徳が一つ、いきなり無くなってしまったことがありました。3基ある中の一番奥にある小さなサイズのもので、これも消失後、ずっとそのままになっていて、2基だけを使い続けていました。その中にガスコンロ自体を買い替えてしまい、この問題は解決を迎えたのです。五徳なんて、普通、無くなりませんよね。