愛猫が夜間に階段を昇り降りする際の灯りとして、階段のあちこちに乾電池式のセンサーライトを取り付けています。これ、猫の大きさや、移動の速度(とてつもなく俊足)を考慮せずに取り付けてしまい、愛猫が走り抜けた後をライトの光が追い掛けるということになっています。
それはそれで、何だか映画の1シーンを見ている様で感動するのですが、愛猫に不便をかけてもいけないので、ライト×3個を追加で据え付けました。今度は愛猫の動きを感知して、できる限り先回りして点灯する位置に。これで、センサーライトが合計11個になりました。
どれも単4のアルカリ電池×3個で点灯するのですが、大体1ヶ月程度で消耗して薄暗くなってしまい、電池の交換が必要になります。それで、電池代を節約するために、充電式の乾電池をそれなりの本数買って、コマメな充電とコマメな交換を日々繰り返しているのですが、これまでの投資を考えると以前の様に階段の照明を一晩中点けていた方が安上がりだった様に思えてきました。まぁ、おじさんの人件費など、もはや「0円」なので良しとしましょう。
さて、私は今、61歳なのですが、「60~65歳の間」というのは現代日本では、敢て言うまでもなく、非常に微妙なお年頃の真っ最中にいます。何というか、多くの人にとっては「先は見えているが、まだ、油断はできないぞ」みたいな5年間と言えましょう。
まぁ、まだ現役バリバリで、ビジネスのフロントラインを疾走中なんて人たちにとっては、「それどころじゃないよ」ということなんでしょうけどね。それはそれで、大変でしょうけれど、それもまた自分で選んだことですので、ガンバッテ下さいね。
さて、この微妙なお年頃(60~65歳)というのは、それまでの備えが万全で「完全リタイア達成」なんてことをしている人たちは周囲から念入りに「やっかまれる」訳です。たまに友人に会っても「いいよな、お前は」なんて絡まれる。それまでに入念に準備をした努力は誰も賞賛をせずに、ひたすらにやっかまれる。当然、私もそんな友人をやっかみます。ゴメン。
ちなみに最近は「FIRE」(Financial Independence, Retire Early)という言葉を急に聞かなくなりました。どうしたんでしょうね、考えるだけムダで空しいので、早速にも廃れてしまったのでしょうか。「死語の世界」入りですかね。
一方で、若い人たちがグイグイと動かしている「会社」に残って生きていこうとすると、それはそれなりに窮屈だったり、居場所が見つからなかったりする。それではと他所の世界に飛び込んでみると、自分の無力さに打ちのめされると共に、そこにもそこの掟があって、おじさんの新入りなんて誰も気遣ってなどくれない。
そんな社会的には弱者的な位置にいても、まだまだ十分に健康で、身体も動けば、お酒を飲んでもまったく大丈夫!だったりします。けれど、これから先の未来を夢見たり、信じたりして、どこかのゴールに邁進したりする気力はなかったりします。気力がないというか、しっかりとずる賢く「計算」をしてしまいます。まぁ、そこそこにって感じですかね。
とは言っても、この5年間というのは「とても大事な期間」な訳です。特に経済的には大過なく、そして、大きな災いに見舞われることなくいきたいところです。何かやらかしても、もはや挽回する時間などないのですから。
その一方では「清々した気持ち」で過ごせる最後の期間でもあると、私は思っていたりします。意識過剰でしょうけれど、年金をまだ受給していないこともあって、「自分の力で生きているぜ」みたいな心持ちがウレシイ訳です。そんな誇り高い?期間を過ごせるのも、後4年弱ですからね。何とか、よたよたと大事な「お年頃」を生きていくのみです。
どこかのお店の傘立てに、どこにでも売っているありふれたビニール傘を入れてしまうと、いざ取り出そうとするときにいつも悩んでしまいます。これは果たして私の傘だろうかって。近頃は、例え間違えたとしても、次の人も間違えてくれれば結果オーライだな、なんて考えることにしています。ご迷惑をお掛けしています。