部屋の床に何か落ちているものはないか、始終気にしています。理由は「愛猫が食べてしまうから」です。それで、うっかり落としてしまいそうなものを、猫が飲み込めない様な大きさのものに随分と買い替えてきました。我家では、たった数枚の紙を束ねるのにも、巨大なクリップが付いています。不便ですが、何か小さいものが無くなってしまい、部屋中を探し回るよりもずっとマシですからね。

大人になってしまうと、文字通りに「何もしない」というのは大変に難しいことだったりします。テレビも見ず、ネットも見ず、スマホもいじらず、坂のてっぺんに座って、ただボーっと街を見下ろす。出来て20分くらいでしょうね。きっと、飽きてしまって、何かを始めてしまいそうです。それに最近だと、こんなことしていると、すぐに警察に通報されてしまいます。

いろいろと退職→無職化に向けて準備をしていると、「何もしない」という言葉が結構に頭をよぎります。「退職したら、しばらくは何もしないんだ!」とか、「何もしなくても、ずっと生きていける程の財力もないしなぁ」とかね。

それで「何もしない」というパワーワード?で考えを巡らせると、すぐに思い当たるのが「くまのプーさん」。彼の「『何もしない』をする」という名言が頭に浮かびます。それで、ついに視聴することを避けてきた「プーと大人になった僕」(2018年)を遂にAmazonの配信で見ることにしたのです。

何故、視聴することを避けてきたのか、その理由は当然ながら、映画を見ながら大泣きしてしまうからです。そうでなくとも、最近は涙もろいというのに。公開された当時に、よくTVなどで流れていた予告編を見ただけでも涙がこぼれてしまったという「鬼門中の鬼門」だったのです。けれど、今回は避けて通れません。

それで、結果としては、心配したとおりのことになって、けれど、本当に見てよかった!のです。あらすじを話すのは止めますが、夢の如くに美しい映像、素晴らしい俳優さんたちの演技、そして、プーさんたちの愛らしい動き、すべてが「完璧」な映画でした。

そして、幾つもの言葉が胸に残ります。「『何もしない』」が最高のことに繋がる」。大切なことを大切にして、ただ普通に生きていく。目の前のもの(恐怖や利益やら)に惑わされずに、ずっと変わらずに大切なものを切り捨てたりしない。例え、それが無為な時間の様に思えても、それこそが最高のことに繋がっていく。  よい映画でありました。

ディズニー制作の子供向けの映画なのでしょうけれど、「大人になった僕」を泣かせる映画でした。配信だけでなく、Blu-rayの板も買っちゃおうかな。

それから、何冊か「何もしない」がタイトルになっている本も斜め読みしてみました。私が読んだものはどれも、何か選択的に「これはしない、何故ならば…」というスタイルで書かれたもので、そのままの「何もしない」についてのものではありませんでした。プーさんが読んだら、「何だこれ?」と言いそうです。(そもそもプーさんは読まないけどね)

世の中の人たちがよく言う「XXXをやめたら幸せになった」とか「老後はXXXをやめて、気楽に生きる」とか、そういうことには正直、関心がありません。「何もしない」とは、文字通りに何か「目先のイジワルな目的を叶えるためのこと」を一切しないこと。その先で、いったい自分はどんなことを考えるんでしょうね。まぁ、また何か「セコイ」ことに頭をやられてしまうんでしょうけれど。

退職後、本当にしばらくは「何もしない」でいようと思っています。そもそもの退職のキッカケは手術/病気療養ですからね。当たり前です。それでも、しばらくの間は「その後のこと」を考えないというのも「よい経験」だと思っています。坂のてっぺんで、眼下に広がる街をずーっと眺めていますかね。「プーと大人になった僕」のラストシーンの様に。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。