今日(3/25)は昨日から一転して、肌寒い雨の一日でした。せっかく週末の花見を予定していた人たちには残念なことになりました。この人手を見込んで飲食店は多めの仕入れなどをしていたでしょうし、本当に上手くいきません。自分で変えられないものは、他人と過去、それに加えて「天気」です。

(セミ)リタイアして丸2年が経過しましたが、今の自分にとって大事にしたいことは何か、自分はどんな価値観で暮らしていきたいか、そんなことを改めて考えました。僅か2年間で本当に大きく自分の考え方が変わったことに、先ずは驚きを覚えます。

今の私の価値観の中心にあるのは、整理したり、分析したり、カッコいいことを考えずに思いつくままに言うならば「追い詰めない、追い詰められない」なのかなと思うのです。現役の頃の仕事とは「追い詰めたり、追い詰められたり」しながら、何ごとも前進させていくものであり、そのことを今、振り返って否定するつもりもありませんけれど。

ときにこれを仕事の場以外に持ち出してしまい、周囲をギスギスさせてしまうなんてことも随分とやらかしました。一体、何のつもり、何様のつもりだったんでしょうね。みんな暗黙のルールの下、緩やかに世界を回していたところに、ひたすらに不快な闖入者が登場して、調和をぐちゃぐちゃにしてしまう。

「いつまでにやってくれますか?」「やり直すことでとんだ損害ですよ」「これ、責任取れますか?」 いいんですよ、そんなに相手を追い詰めなくても。相手と一緒になって、一番よい解決策を探せばいいだけなんですから。

そして、逆の立場になって「追い詰められる」、これはもう価値観というよりも、生理的に受け付けられなくなりました。よく、こういうことを何気に強いてくる人がいて、こちらがのほほんとしていると「これ、あなたがやるって言ったじゃないですか」なんて状況を突き付けてきます。だから、近頃は用心深く「追い詰められる」ことを避けているのです。仕事でも、どこでも。

「追い詰めない、追い詰められない」これを信条とすることで、私は視界がぱーっと広がる様な気がしています。それは「怒り」であったり、「恐れ」であったりという、すべてのよきものを台無しにしてしまう感情から離れることができるからに思います。とにかく、変なものに自分の時間を喰い荒らされない様にするためにも「追い詰めない、追い詰められない」、私にとって大事なことなのです。

愛猫が動物病院でワクチン接種をしてから、あまり食欲や元気がなく、ずっと私の周りを離れずに眠ってばかりいます。とは言ってもまったく何も食べない訳ではなく、好きなものは少量ながらも食べてくれます。様子をみて、事態が改善しなければ、病院に行かねばなりません。心配でなりません。幾らでも好きなものあげるから、元気になってね。

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