種類にもよるのでしょうが、家の近所の桜が早くも二分咲きくらいになっていて、いきなり気持ちがほっこりとしました。早いな、昨日お正月だと思っていたら、もう桜の季節になっているなんて。

私と同じで今年(去年)還暦を迎えた人たちの調査では、「実感年齢 精神年齢は平均47歳、肉体年齢は平均55歳」なのだそうです。 ※出典:2022年の還暦人(かんれきびと)に関する調査(PGF保険)

確かに言われてみれば「そんな感じ」で「そんなつもり」で生きている様な気がします。けれど、これ、恐らくは自らの実感と周囲からどう見られているかは、相当にかけ離れている様に思います。実際には相当に「おじいさん、おばあさん」だということ。

先日まで、完全な誤解をしていたことがあって、今の仕事は自分ではシニア求人に基づく雇用だと思っていたのですが、勤め先の人から「おーちゃんパパみたいな60歳過ぎからの採用の方は…」といった文脈で話をされることがあって、そうか、「おじいさん枠」だったのねと理解をしたのです。

だからと言って、職場で何か差別的なことが起きている訳ではないので、無問題なのですが、自分では若い「つもり」であっても、世間では確実に「60歳」という年齢で見ているのだなと妙に感心をしたのです。自分では若い「つもり」でも、そのことは誰にも分からない。

自分では完全に現状を理解している「つもり」で言ったり、書いたりすることが相手からすると分からない、分かり辛いということがよく起きます。長年時間を共にした人との間では同質化が進んでいて、それこそ大して何も気遣わずとも「あうん」で通じるところが、新しい場所や、新しい人との間ではそうはいかない。そもそも単語が通じないなんてことも起きたりします。

これ、そんなことを解消するために丁寧に説明し過ぎると却って分かりづらくなってしまうこともあって、とにかくコミュニケーションにおける「つもり」トラブルの回避には、その場所で費やす時間が必要に思います。

ワーディングの慣れだったり、相手とのシンパシーの醸成であったり。どの世界でも新参者を待ち構えているのは、ちょっとイジワルな「通過儀礼」です。あー、面倒くさい。自分が長年馴染んだ世界では「イジワル」な立場であったことを反省することしきりです。

きっとこれが「老化」の一部なんでしょうが、もう、「つもり」の世界でそのまま生きさせてもらえないかと思ったりします。「誤解」でも「勘違い野郎」でも構わないのです。家族も含め、親しい数人の人と分かり合えれば、それでよし。誰の「つもり」も裁かないので、こちらの「つもり」もそのままにしておいてもらえる世界、そんな場所、どこかにないかな。ないよね。

我家の庭には「さくらんぼの木」があって、春になると普通の桜に比べると貧相な花が咲いて、その後、幾つか「さくらんぼ」が実ります。とても美味しそうなのですが、植えてから15年程も経つのに一度も食べたことがありません。庭に来る鳥たちが、きっと楽しみにしているに違いないと思って、ささやかながらの贈り物としているのです。そんな私の「つもり」を鳥たちは知る由もなく。

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