名古屋で仕事をしている兄から「カエルまんじゅう」をもらいました。カエルの格好をしたお饅頭の中に程よい甘さの餡子が入っていて、とてもおいしい。ういろうで有名な青柳総本家さんが1989年に発売したもので、出張や旅行のお土産として「無事カエル」の語呂合わせで人気なのだとか。迂闊にも、何度となく名古屋には出張に行ったのに知りませんでした。
「カエルまんじゅう」を知らなかった私ですから、世の中は「知らない」ことで満ちています。ここしばらくでも「そんなこと、知らなかったなぁ」と感じ入ったことが幾つもあります。
先ず、人間に関する多くのことは「遺伝」によって支配されているのだそうです。年末に橘玲さんの「言ってはいけない 残酷すぎる真実」という本を読んで知りました。努力はムダではないにしろ、大勢は「遺伝」によって決してしまうのだとか。だからと言って、今の私の体たらくをご先祖様のせいにして恨むという訳ではありません。
「遺伝」によって紡がれてきた「私という素材」の様なものがあるのであれば、それを正しく理解すれば上手く操縦できるに違いないと思ったのです。「やればできる」とか「無限の可能性」とか、そんな言葉に踊らされて自分をむやみに鼓舞する前に「私」のスペックをきちんと読んでおく、そんな感じでしょうか。これは脱力して生きるためにも有効な心構えです。
さらに対象を「日本人」とか「人類」とか言ったものに拡大して考えるならば、「人とはこういうもの」といった理解をしておくと、人間関係において相当に嫌な思いを回避できそうです。歴史を学ぶとか、本を読むとか、失敗をするとか、そういうことを積み重ねて自分なりに覚えていく訳です。古今東西の名言集なんて、これの集大成みたいなもんですよね。
それから、「きっとそんなものはあるだろうけれど、具体的な商品」を知らなかったものがあります。それは、一つのキーボードやマウスを切り替えながら、複数のPCで使うというものです。デイトレをやっている訳ではありませんが、私が作業部屋で使っている机(というか大きなテーブル)の上にはデスクトップPCが3台鎮座していて、結構な頻度で同時に複数台を立ち上げているのです。
これ、机の上がキーボードだらけ、マウスだらけになっていて、しょっちゅう「間違ったキーボードやマウスから入力」をしてしまうのです。「あれ、何で文字が入力されないんだろう、マウスヘッドが動かないんだろう」ということです。これが「イラっ」とするのです。
それで、このスイッチャーを買ったのですが、これが何とも便利です。5,000円程度の買い物で、恐ろしく手許が快適になりました。机の上が広々としました。自分が知らないもの/ことがあることを理解していて、これをきちんと探す、理解する、試してみる、大事なことでした。
「無知の知」って、そもそもはソクラテスさんの真理探究に向けた基本的な考え方な訳です。そんなスゴイ人でも「自分がいかにわかっていないかを自覚すること」を脳死しないための第一歩としたということです。加齢で脳が溶け始めている身としては、「無知の知」、改めて胸に刻むことにします。いい年ですから、本当は「無知の恥」ということなんでしょうけどね。