うっかり叩いた軽口や、他人に関して話したことが思わぬところで波紋を起こしていることがあります。本気で言ったこと、したことで何か厄介ごとに巻き込まれても「しょうがないよね」と腹を括れますが、「どうでもよいこと」と思っていたことで面倒なことになるのは御免です。

よく知った間柄で話すようなことをうっかり、それほどによく知っている訳でもない人に話すのは危険です。こちらのことを思いやってくれないので、言ったことだけが切り取られて、「あいつ、あんなことを言っていたぜ」なんてことになってしまいます。これが結構に怖いのです。

もういい年なんですから「他人のことは『よいこと』以外は話さない」、これが鉄板です。サービス精神が旺盛な人って、身についた習慣、習性でつい相手を喜ばせようとしてしまいます。そのために大して悪気はなく、誰かのことを評した話をしてしまう。

「あの人、結構にXXな人ですよね」とか「この間、XXなことがあってびっくりしました」とか。極端に言えば「売って」しまう訳です。他人の話って、その場では「受けます」からね。だから、とにかく他人のことは話さないが金、『よいこと』だけ話すのが銀ということになります。

『よいこと』だけを話しておけば、そのことが回りまわって本人の耳に入っても悪い気はしません。(教訓:他人のことを話せば必ず本人の耳に入る) そんなに計算高く生きていなくても、それを習慣、習性にしておけば、多々ある怪我の原因の一つは無くすことができます。

定年後の再就職、新しい職場で新しい同僚、しかも周囲は自分と同じように「痛んで、ひねくれた中高年」ばかり。どこに地雷が埋まっているか分かりません。現役時代の様に従業員の多くが同質化した「ムラ」社会で生きてきた感覚でいると、あっという間に爆死です。(教訓:仕事が続けられるかどうかは(ほぼ)100%人間関係次第)

逆に言えば、少し肩の力を抜いて、自分のことも他人のことも話すことなく、専ら「聞いている」(本当は大して聞いていない)というのが、オジイサンのこれからの「平和」のために必要なことだと思っています。いるかいないか分からないけれど、いざ「いない」となれば困ってしまう、そんな存在がベストです。

今日(12/9)で短い休みもおしまいです。好き勝手をして充実した時間を過ごしました。ということは「必要なだけ働く」もしなくてはなりません。肩の力を抜いて、イキらぬ様に。

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