朝起きてから夜眠るまで、私たちときたらずーっとダメージを負い続けている様に思います。場合によっては眠ってからでも、夢の中で辛い思いをさせられます。これ、一番の対策は、私の場合、とにかく忙しくしていて、負ったダメージも感じない様にしていることなのですが、現役を退いた「今」の様な暮らしだとそうもいきません。
以前のエントリでも書きましたが、アドラーさんが言うとおりに「すべての悩みは対人関係の悩み」なので、人と人が近しい距離で接点を持つ仕事をしなくなると、ダメージは極端に減ることになります。
とは言っても、人間というのは困ったもので、どこからでもダメージを拾ってきてしまいます。今日やろうと思っていたことが出来なかったとか、宅配便の配達が遅れてしまい必要なものが必要なときに手元になかったとか、前回の仕事でやり忘れたことが誰かに迷惑を掛けていないかとか… まぁ、幾らでもダメージが降り掛かってきます。
どれもこれも取るに足らないことばかりなのですが、それを反芻する時間があるので、いろいろと「痛む」訳です。これは私に限る話ではなく、誰もが大なり小なり同じことだと思いますけれど。しかも、最早、「忙しくしてダメージを感じなくする」という手は使えません。
それで、最近の私は「対症療法」ではなく「予防」を心掛ける様にしています。よく「或る程度のストレスは人間に必要なものだ」という話がありますが、そんなギリギリとした生活を私は送りたい訳ではなく、ストレスを生み出すダメージは極力少ないに越したことはありません。
その予防策とは、①不必要な接点を人と持たない(無理に好かれようとしない、サービスしない) ②上手くいかないことが普通だと思う(上手くいったら、儲けもの) ③垂れ流す時間のコントロール なんてことを心掛けているのです。
「③垂れ流す時間のコントロール」とは、テレビだったり、ネットだったりをただボーっと鑑賞しないことを指していて、これらのメディアの視聴時間の合計を最長で一日2h程度にしているのです。例外、特別なんてものもあるので、極めて緩い「縛り」ですけれど。
注意すべきは「ようつべ」とサブスクでのコンテンツ鑑賞です。どちらも「費用が掛からない」(定額)という点で、心理的な「たが」が外れているので極めて危険なのです。あっという間に2時間、3時間と時間が経過してしまう。
「これをしたかったのに、しなくちゃいけなかったのに」がどんどん浸食されてしまい、かつて仕事を家に持ち帰ったのに何もせずに翌週を迎えたときの様な敗北感にさいなまれることになります。
今日(11/23)はサッカーワールドカップの日本の初戦です。今日ばかりは、自分に課したメディア視聴の許容時間枠を忘れることにします。相手が実力格上の強豪国(ドイツ)で、「負けてもともと」なので、どんな結果でもダメージを負うことはなさそうですが。でも、勝ってね。