毎日毎日おびただしい量の情報が世界で生まれます。それについて、誰かが「こういうことに違いない」と解釈して、誰かが「これは大切だぞ」と判断し、誰かが「こっちの方がウケるぞ」「こっちの方がお金になるぞ」と選択したニュースを私たちは有難くTVやネットで眺めている訳です。きっと昔から真実などそこには無かったのでしょうが、昔はみんながそれで「納得」していたのです。
結局、こんな時代になると「正しい」か否かというのは余り大きな意味を持たずに、受け入れることができる基準は「納得できるか否か」という一点に掛かってくる様に思います。
何故か日本のTVニュースで大々的に報じられている米国の中間選挙に関しても、実際にかの国で何が起きているかなど、誰も正確に伝えることはできませんし、勿論、こちらも理解などできません。遠くで揺らめく陽炎の様なものなのです、きっと。
何に関しても陰謀論というのがB面にあって、根強い人気です。これ、大変にうまくできていて、うっかりすると信じてしまう、「そういうことなんだろうな」と納得してしまいそうになります。けれど、そこで一歩踏みとどまって、「そういうこともあるかも知れないね」程度に留めておくのが身のためと思っています。ケガをすることも、イタイことも御免です。
何とも情けない話ですが、今、世界で起きていることの多くに関して、自分が最も納得できる考えは「よく分からないなぁ」ということになります。社会に無関心な孤立した老人ですかね。
けれど、自分で経験し、自分でイタイ目にあったことでなければ、それをメディアが報じても、ネットで見知らぬ誰かが語っていてもそのままに鵜呑みにするという訳にはいきません。
「自分が素直に納得できるか」、肩の力を抜いて、当面はこれをフィルターにして、ひとり世界に立ち向かうことになります。ここで大事なことは、人それぞれに「納得できること」は違っていることです。だから「自分の納得」という大刀を振り回さない様にしなければ。それに、そんなことをする人に出会ってしまったら「逃げる」一択です。
最近はいろんなニュースを見聞きするに、これまで以上に「よく分からない」のです。だって、そんなことが「起きる」道理がそこにはないことばかりなのですから。遠い国の戦争も、この国で決められていく取り決めも。一体、どうしてしまったことやら。良し悪し以前に、納得ができません。