子供の頃は「好き嫌いをしないで食べなさい」などと言われるものの、あるときからその縛りはなくなってしまい、結局、60歳にもなると「好きなものばかり」食べています。もともとエスニック料理が苦手で若い頃も避けてきました。和食と昔ながら洋食、これで最後まで乗り切ります。最後は流動食になったり、管で何かを流し込まれたりするのでしょうけれど。
年寄りも年寄りなりにいろいろと変化をしています。人間は「こころ」と「からだ」。そのどちらもが日々変わっています。最近、とみに「人と接すること」が面倒くさくなってきました。これも明らかな老化なのでしょうけれど。
「老人は老人がキライ」、これは言い得てしかりです。お互いに脳が硬化し、さらに感情の起伏が激しくなり、怒りの沸点が低くなっている訳ですから、そんな狂犬みたいなもの同士が近付いてよいことなどないのです。
最近とあるところで互いに知らぬ同年配の方々と接することがあったのですが、何かもう地獄みたいな集まりで本当に辟易してしまいました。どなたもクセがあるというか、他人様との距離がすっかりおかしくなっている人ばかりで、もうその場には二度と行かないことにしたのです。一番近いのは百鬼夜行。私もその一員なのでしょうけれど。
慣れてきたり、互いによく知ることになれば、少しは快適になるのかも知れませんが、その努力をすることにまったく関心が湧きません。しばらく前のエントリでも書きましたが、「嫌われる勇気」を最近は迷わずに発動しているのです。静かにそこから退散する、これが私にとって一番自分にしっくりくる「嫌われる勇気」の行動なのです。
60歳にもなって「人に疲れる」というのは本当に馬鹿馬鹿しいことです。嫌な思いをして、それからしばらくの間はそれが尾を引きますしね。どちらかと言えば、その点に関しては子供の頃からダメージを受けやすい性格だったのです。そろそろ、そんな繰り返しからは卒業です。
当たり前のことですが、経済的に自立さえしていれば、「好きなところに住んで、好きなものを着て、好きなものを食べて、好きなことをして、好きな人とたまに会う、そして、誰にも従属しない」それ以上でも以下でもない暮らしを送りたいものです。
そのためには、常にその単純な原理原則に素直に従う、つまり自分に逆らわないことが大事だなと「いい年をして」改めて思うのです。何か我慢や辛抱を迫られる、先ずはそんな状況に自分で自分を陥れない様にしなければ。「人に疲れる」のは自滅みたいなものですから。さぁ、何か甘いお酒でも飲もうっと。