いつからか5年先、10年先のことを考えるのを意識して止める様になりました。当たり前のことですが、そのことを考えねばならないときが来たら、その時の「自分」に相談して決めればよいだけなのですから。その時の気持ちと、その時の持ち物で。
けれど、「そのことを考えねばならないとき」というのは粗々に決めていて、日々カウントダウンをしているという訳です。最近はこういうカウントダウンを管理してくれるスマホのアプリというのもあって、「残りXX日」なんて教えてくれます。
このアプリ、よく出来ているところは、設定日が過ぎた後には「経過してXX日」と教えてくれるところなのです。「そうか、あれからもう200日が過ぎたんだな」などとスマホの画面を見ては一人感慨にふけります。過ぎた日々は常にカウントアップです。
「カウントダウン」のよいところは、その日を自分だけの「卒業日」とすることで、今一度『頑張れる』こと、モノゴトの捉え方が随分と楽になることだと思っています。兎にも角にも「その日」が来たら、「次の日々」が始まるのですから、よいことは思い出に残し、イヤなことはそこに置いてくることができます。
社会的には60歳にもなれば、残りの卒業イベントは数える程しかありません。一切の仕事を辞めること、そして、「この世からの卒業」ということになります。こういう大物はこのエントリの一番最初に書いた「5年先、10年先のこと」なので、今は考えることはありません。どちらも自分だけで決められることではありませんしね。
本当は無我夢中で、とにかく毎日、毎週、毎月を何とかやり過ごしていく、なんて日々が幸せなのでしょうね。けれど、半リタイアの身分では、現実、そうもいきません。大体、今日が何曜日かすら、「ゴミ出し」がなければ意識しないという体たらくなのですから。
私の次の「卒業日」までは残り237日だとアプリは教えてくれています。ちなみに直近の「卒業日」からは189日が経過しているそうです。大した「卒業日」ではないのですが、ただ滔々(とうとう)と流れる日々にあって、よいアクセントになっているのです。早く来い来いお正月って感じですかね。