今さらながら「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ)を読んでいます。岸田首相が夏休み用に購入した書籍の1冊だそうです。イスラエル人の著者が本国でこの本を出版をしたのが2011年で、日本で初版が出たのが2016年、ついこの間話題になったと思っていたら、早くも6年が経過していたのです。人類の長い歴史に比べたら一瞬ですけれど。
本の冒頭で以降の考察の「軸」となる視点が提示されます。現在の人類につながる「ホモ・サピエンス」の祖先が今の隆盛に至った背景には「虚構」を生み出す能力と、これを共有し信じる性質があったとし、これを人類の発展の歴史を読み解く「鍵」として、私たちに起きたこと、起きていることが語られていくというのがこの本の構成になっています。
結構に長い本で、まだすべてを読み終わっていないですが、「なるほど、こういう解き方もあるのね」と随所で感心をしてしまいます。また、勿論ながら知らなかった知識も満載で、誰に教えてあげる訳でもありませんが、少しは物知りになった気分にもさせてくれます。
この本の中で「個人レベルでは古代の狩猟採集民の方が、現代人よりも(生きるために必要な広域な)知識と技能の点で優れていた」という記述があり、そうだよねと深く頷いてしまったのです。
よく「大企業の出身者が中小企業意気揚々と乗り込んでいくも、何もできずに意気消沈する」という話があります。仕事が細分化されている大企業にあって高度に専門化した知識を持つことが「存在価値」であった人が、専門外のことでも何でも自分でやることが求められる中小企業では役に立たないことも多いという話です。これ、大企業出身者が起業をして失敗するというケースも、凡そ同じ文脈の様に思います。
自分で事業を起こした人、少人数の会社を経営している人って、会社を存続させるために本当にいろいろなことを知っていて、経験していますよね。「だって、誰も代りにやってくれる訳じゃないしね」。そういうことなのでしょうが、孤立無援でも生きて抜くための術を身に着けてきた人たちには本当に感服してしまいます。
製造やサービスの提供、営業活動、資材の調達、資金調達、会計・経理・決済、人事・労務・総務、各種の契約・法務、情報システムの導入… こんなことを何十年も自分の仕事としてグリップし続けていく、若くて馬力がある頃から「がむしゃら」に取り組まないととてもできるものではありません。中高年からの起業、何だかできそうにもありません。
さて、長年サラリーマンとして会社に勤めてきた多くの中高年にとっては、老いていく一方の自分と家族が生き抜いていくために、退職をした後には、これまでの「全部会社任せ」から、「全部自分ごと」にシフトチェンジが必要になる様に思うのです。「知識セット」と「感情セット」の更新です。
まぁ、みんな何となく退職後は軟着陸をして、「その後」を生きていくので、肩肘を張ったり、びくびくすることでもないのですけどね。税金に関する手続きやら、自分の健康管理(ガン健診やら人間ドックだって自分で手配)やら、果てはスーパーでのお得なお買い物の方法、近所の人の顔と名前を覚えることまで、日々起きることを「自分ごと」として関わっていくのには「新しい知識」を貪欲に吸収せねばなりません。「だって、誰も代りにやってくれる訳じゃないしね」ってことです。
こういう「新しい知識」って、これを知って、上手く使うことができると「知恵」に変わります。そして、何だか誇らしいし、誰かに自慢したくなるのです。カミさんや友人にそんなことを話すと「そんなことも知らなかったの?」と呆れられることばかりですけれど。