昨日、外出先から戻ってくると、隣の空地に入って我家の敷地をのぞき込んでいる70歳くらいの人がいて、スマホで我家方面の写真まで撮っていました。気持ちが悪かったので、「御用ですか?」と聞いたところ、「土地を探しています」とのこと。

悪気はないのでしょうが、この年代の人って、無神経というか、大らかというか、「今の常識」が分かっていないところもあり、この時も悪びれた様子もないことから、思わず、「人の家を無断で写真にとるのはよくありませんよね」と言ってしまいました。「それはスミマセンでしたね」などと言って、その人は立ち去っていきましたが、何だか気持ちが悪いものが心に残ったのです。何せ、繊細さんなので、私。

会社や仕事の場でどんなに相手と激しく議論をしたり、時として、互いに相手の尊厳に関わることに触れてしまうことがあったとしても、大して気にならなかったのですが、「個人vs個人」という場では、何か衝突があった際に、どうにも「気持ちの悪い澱(おり)」が心に残ってしまいます。それが、ささいな綻びであったとしても。

それでは、何か自分に関わることであっても、平穏な日々を維持するために、一切「目を瞑って、耳を塞ぎ、口を閉ざす」ことにしましょうか。けれど、そうもいかないのです。雪が降ったら、最低でも自分の家の前は雪をかく様にと教えられて育った身としては。

いつの世も同じですが、本当に様々なことを世界では起きていて、きっとその中では「目を瞑ってはいけないこと」も沢山あるに違いありません。それはTVニュースで報じられていたり、新聞やネットの記事で目にしたり、読み掛けの本のページに書かれていたり、街中のふと目にする風景の中にあったりします。

それに気付けないのは悲しいことですし、「目を瞑ってしまう」ことは卑怯なことにも思うのです。自分に直接的には関係がなくとも、「私の様な世界の人」が辛い目にあっているのであれば、せめて、心を寄せることはしたいと思うのです。


結構に近所にアパートが建って、雪が降っても誰も雪かきをしてくれません。だから、日陰の場所ともなれば、いつまでも雪が溶けぬままに硬い氷となって残ってしまうのです、真っ黒になって。退職して、たまに仕事に行く様な「ヒマな人」ですので、今年の冬は、我家の前を少し「延長」して、隣のアパートの前も少しは雪でもかきますかね。自分がそこで「滑って転ぶ」のもイヤですし。

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