世の中の「夏休み」が終わった頃に「夏休み」をとる、大体昔からそんな休み方をしてきました。お盆休みの間は電車も空いているし、快適だった訳です。そして、退職してからも、やはりそんな感じで、今日の仕事が終われば、明日から1週間の「夏休み」です。
毎日仕事に行っている訳ではありませんので、「疲れをほぐす」とか「非日常を体験してリフレッシュする」ということは日常的にしていることなので、今年の「夏休み」は「まとまった時間でやりたかったこと」を片付けるよい機会だと思っています。
それで、ここしばらくの間、「片付けたいこと」をメモしては、適当な封筒に入れていたのですが、いつの間にか封筒がパンパンになっており、開けるのが怖い状態です。確か読みたい本のメモを何枚も入れたし、家の中や外の掃除についても何か書いた記憶があるし、近所で評判のよいお店での飲食もメモを書きました。おそらく、1週間程度の夏休みではまったく消化し切れないのです。人間の、というか私の欲求は尽きない訳です。消化し切れないで新たなストレスを抱える、嫌な予感が早くもしています。
本能的、生理的な欲求(食欲・睡眠欲など)を強烈に欲するというのは相当に追い詰められている状態で、普段はこれらが満たされて「次の段階の欲求」(社会的欲求)となります。マズローさんの「欲求階層論」の言う通りです。また、マレーさんの調査によれば、ヒトの欲求は獲得/保存/秩序/保持/構成/優越/達成/承認…などなど、30程も存在・分類できるのだそうです。
これ、細かく見ていくと、自分の中にすべて存在する欲求であることに気付きます。私の場合は特に「秩序」(片付け、体系化など)に関する要求が強いようで、時として身の回りのことを「整いました」という状況にしたいという「強迫的な思い」まである様に思います。その割には、いつまで経っても部屋の中も、クローゼットも、道具箱の中も片付きませんけれど。
仏教における煩悩は「小は3にはじまり、通俗的には108、大は(約)84,000」にも分類されるそうです。これ、煩悩を採集して、分類する作業、大変で、苦しいことだけれど、執念でこれを押し進めた人がいた訳です。「なさねばならぬということに囚われて、ひたすらにこれを達成することを求める」っていう煩悩、ちゃんと書き加えられていますかね。