今や料理に関する関心はデザート/ケーキに向いています。アイスクリームに続き、私がチャレンジをしたのはマドレーヌです。

ネットに転がっていたレシピどおりに準備を始めた私は、途中、材料の分量にびっくりします。これはネットの記載ミスだよね?と何度も思い、他のレシピも覗いてみたのですが、間違いではないのです。薄力粉(200g)、卵(4個)、ここまではよいのですが、粉砂糖(ええっ200g!)、そして、極め付けは食塩不使用のバター(何と200g!)です。バターの200gというのはスーパーとかで売っている「箱ごと」ですよ!これはスゴイです。しかし、これで約15個分ですから、1個当たり:砂糖/バター共に13gです。まぁ、そんなものかと… また、カロリーブックを見るにマドレーヌ1個は約120kcalですので、苺のショートケーキ1個の1/3程度の熱量です。マドレーヌは心配したよりはヘルシー?な焼き菓子と言えます。

さて、マドレーヌと言えば、「失われた時を求めて」です。「失われた時を求めて」はマルセル・プルーストというフランスの作家が書いた小説です。今でこそ、それほど語られることはなくなりましたが、40年程前までは、「何だか有難がたがられている世界の名作」の一つで、やたらに長い作品です。作品の価値は原文(フランス語)で、しかも広範囲の知識(教養)がなければ、僅かながらも理解できないものであり、私など、まったく「お呼びでない」ものだったのです。まぁ、このエントリを書くために改めて縮約版という1冊ものを読み、何となく作品のアウトラインは分かりましたが、作品を味わうには至りませんでした。大丈夫です、誰も読んだことはありませんから。

さてさて、何故、「マドレーヌと言えば失われた時を求めて」なのかというと… それはこの本の「第一篇 スワン家の方へ」にこんな有名なシーンがあるからです。主人公が紅茶に浸したマドレーヌを食べると、その瞬間、かれは歓喜に身を震わせ、幼いころに食べたマドレーヌとそこに紐付く様々な思い出が次々に彼に蘇ってくるのです。これは、マドレーヌでなくても、フランス人でなくても、感受性豊かな小説家でなくても、誰にでも起きていることなのです。何か五感に訴えるものが自分を過去の日に連れ去ってしまいます。そして、さらに記憶は連鎖し、瞬時にして混沌の海に人間は放り出されてしまいます。

ちなみに私は「まな板でものを切る音」を聞くと実家で料理をしていた母のこととを思い出し、そこから当時使っていた食器の絵柄や、スプーンの柄についていた模様までを思い出すことがあります。こんな懐かしいことばかりならよいのですが、ときには不意打ちを食らって、イヤなことや忘れていたことまで思い出してしまうことがあります。 年をとるということは、こういう記憶の罠の様なものに始終絡めとられてしまうということなのでしょう。うっかり、ネットを見たり、街にも出られません。そして、マドレーヌを食べると、否、名前を聞くだけで、この難解な名作を読まずして逃げてしまった若き日の私を思い出すという妙な記憶が私に襲い掛かってきます。困ったものです。 ちなみにダニエル・クレイグ版007に「マドレーヌ・スワン」という役名の女性が出てくるのですが、これって、「失われた時を求めて」 へのオマージュなのですよね、皆知ってるの? そうなの? ちがうの?

そんなこんなの面倒くさいことはともかくとして、マドレーヌは「予熱で200℃に温めたオーブンに、180℃で20分程度焼く」ことで、出来上がります。まだ暖かいうちにたべると本当においしいお菓子です。プルーストはマドレーヌを紅茶に浸して食べ、私はコーヒーを飲みながら、パクパクと食べるのです。カミさんにも大好評で、リピートが掛かるくらいですが、唯一問題があります。それは、最初にも書いたとおり、一度に15個程が出来上がってしまうことです。作る手間とオーブンの電気代を考えると「少量作る」ことが何だかもったいないと思う私の「ケチ」に起因することなのです。芸術も何もあったものではありません。出来上がったマドレーヌはカミさんと二人で数日を掛けて食べてしまいます。さて、次のお菓子チャレンジは何にしましょうか。

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