役に立たない、誰にも頼まれない、感謝されることもない。けれど、きちんと税金は払っているし、いろいろと消費をして僅かながらも景気を支えている。そんな私の毎日にあって、改めて自分を奮い立たせる「使命」を考えるに、それは「発見」し続けることだと思うに至ったたのです。誰にも迷惑を掛けないし、尽きることはないし、ボケないし、いいこと尽くし。
それは「発見」ではなく「当たり前」のことをオマエが知らなかっただけ、と言われてしまえばそれっきりの話ですが、きっと私に知られない様に息を潜めて隠れていたことなので、やはり「発見」に違いありません。
コロンブスの「アメリカ大陸発見」(1492年)についても、元からそこにアメリカ大陸は存在し、原住民もいた訳ですから、「発見」に関して異論があるそうです。正しくは「アメリカ大陸到着」でしょ? という訳です。そうだよね、同じ頃に日本にたどり着いた西洋人がいて、とくとくと「日本発見」なんて言われたら、気分が悪いのです。
さて、日々の暮らしの中でも勿論「発見」はあるのですが、せっかく「時間持ち」になったのですから、好きなこと、関心のあることを通じて「発見」をしたいところです。以前のエントリで触れたエマニュエル・トッドさん(仏:歴史人口学者)曰く、発見とは「着想を得て、これを多くのデータや知識に照らし合わせて、それらの間に偶然の一致を見つける」こと。まったくの納得です。そうでなければ、ただ単に目で見たものが「発見」ということになってしまいます。
そのためにも改めて「読書」に親しむことをしたいと思っています。昔はいろいろな本を読み、無駄と思える知識も頭に詰め込んでいたのが、サラリーマンをしている間は「仕事や人生に役立つ本」ばかりを読んでいたことで、すっかり頭の中が空っぽになってしまっていたのです。何でもいいからすがっていたのか、そこに即効性のある答えがあるとでも思っていたのか。
自分の興味のままに、好きなだけ本を読む。そして、記憶に残ったかけらと、五感や第六感や体を動かすことから得られた「着想、直観、思い付き」といったものを照らし合わせて、「そういうことだったんだ」という「発見」をする。特に「体を動かすことから得られる」ものを大事にしたいと思うのです。「疲れる」とか「辛い」とか、そういうことって「自分だけの気付き」ですからね。
私の最近の「発見」は、最近の「日本の亜熱帯化」に伴い、家庭菜園の種まきは3月中に行って、すべての収穫を遅くとも7月初旬に終えなければならない、ということです。もう、これまでの日本ではないのです。とてもではありませんが、この猛暑の中、植物もヘタってしまいますし、作業をするこちらも「楽しく」ありません。昨日はようやく「雨」が降ってくれましたけれど、その前日なんか、1時間も草むしりしたら首がヒリヒリしましたもの。無謀でした。