いくつになっても、どんなことでも始めることはできる。けれど、「今更始めても、それがどこかに繋がる訳でもないし、そんなにお金も掛けられないし…」。それに、余程簡単なことでもない限り、「モノになった」という実感を得るには「時間」が足りません。まぁ、時間切れになって辿り着いたところがゴールということで。

テレビやネットで新しいことを知る度に「そんな世界もあったんだ」と驚かされます。そして、若い頃にそんな「世界」を見つけて、己が関心に従い、その道を進んできた人を尊敬します。勿論、それが「成功」に繋がった人ばかりではないかも知れませんが、「満足」は得られたに違いありません。

今更になって分かったこと、仕組みが整理できたことがあります。何かを為すためには先ずは「学び始める」ことが必要で、学ぶことにより仲間に入りたい世界の「枠組み」が見えてくる。すると、その枠組みにおいて自由に泳いだり、冒険したりするのに必要となる知識の全体像が見えてくる。そして、知識が増えていけばいくほどに、その世界の深みに畏れを抱き、そのことをそこまで高めてきた大勢の人たちの「積み上げてきた作業」に感嘆する。何だかうれしくなって、更にいろいろと「深めたり、広げたり」する。

結局、こんなどうでもいい「全体像」みたいなものを考えるばかりで、肝心の「中身」を詰め込まないのが「年寄り」(私)の悪いところです。つべこべ言わずに、先ずは始めちゃえばいいのにね。旨いことやって、何か「答え」を出すことをすぐに考えてしまう。もう「答え」なんて出す必要などないというのに。

世界的な人口統計学者であり、現代を代表する知の大巨人であるエマニュエル・トッド(仏)の本を久し振りに読んで、随分と元気をもらいました。彼の代表作であり、見事にその後の世界を予見した「帝国以後」(2002年)がマイ「エマニュエル・トッド」ファーストですから、なんと、あれから20年が過ぎたことになります。

この本を思いっきり要約するならば、世界はアメリカ(帝国)を持て余し、これを何とか「あやしながら」日々動いているといったもので、ここに至る経緯とそれからを、様々な人口統計のデータを用いて読み解くという内容でした。そして、内容以上に、トッドの「思考」する力に恐れ入った訳です。勿論、「出生率」「識字率」「家族構成」なんてものが世界の動きに大きな影響を与えていることにも驚かされましたが。

私が久し振りに読んだのは「エマニュエル・トッドの思考地図」(2020)で、日本の出版社からの依頼で「思考する」ことに関して、書き下ろしたものになります。自らの生い立ちを通じて、自分はどう学んでいったか、どう思考してきたかを綴ったものです。(もしかしたら、インタビュの書き起こしかも知れませんが)

そこで、彼は研究とは「以前の研究者が出した問いに、後のものが答え/反論し、別の問いを残していく」ものだと語り、「思考とは歴史的な連なりと蓄積の上で成立している」と語ります。変な感想ですが、彼が如何に人類を愛していて、学ぶことに敬意を払っているかが分かり、とても元気と勇気をもらったのです。


自分という無能な存在が、人類が何かを積み上げる作業における「一粒の砂」であることを信じるならば、ちっぽけなその役割を果たすことで、とてもうれしい気持ちになります。混み合う新宿駅のエスカレータに流れ込む無数の人に紛れながら、そんなことを考えました。

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