仲間内でローカルな言語世界を共有する、これ、身内感の醸成に大きな役割を果たしています。逆に転職したり、再就職したりなんて際には気を付けないと、「こちらの当たり前」がさっぱり新しい場所で受け入れられずに「これ、何ですか?」なんて訝しがられてしまいます。
現役時代に長らく勤めていた会社では、朝自宅から直接に客先に行くことを「出役」(しゅつやく)と称していました。これ、親会社だった大手商社で使われていたコトバとのことですが、他所の会社、他所の場所ではさっぱり聞いたことがないものでした。今でもまだ普通に使っているのかな、それとも既に廃れているのかな。
たまに「キミの部署がやってる仕事は会社の一丁目一番地なんだから、しっかり頑張ってくれよ」などと叱咤激励をする向きがあります。何となく語感から「一番大事なこと」「最重要事項」なんてことを言いたいのだろうとは分かるので、誰も「そもそも何が言いたいのですか」「誰が言い始めた言葉ですか」「二丁目三番地はありますか」などと無意味が会議が長引く様なことは誰も聞きません。
今更になって少し調べてみると、「一丁目一番地」以外と新しい言葉でした。
※引用:言葉の手帳 「一丁目一番地」
“ 「一丁目一番地」は1980年代頃に登場した言葉で、その後1990年代に発足した橋本内閣の梶山官房長官が行政改革で使い始めたのをきっかけに、小泉総理や民主党の鳩山総理なども用いて世間に浸透し政治用語として定着しました。”
きっと、どこかのお役所で脈々と使われてきた言葉がうっかり表に出てしまい、マスコミの人も「内輪の言葉」として馴染があったために特に校閲にも引っ掛からなかったなんて感じですかね。それに語感も面白いし。それが程なくして「会社」にも広がり、今や普通の日本語になった。何だか面白いのですが、きっと、身内で使っていた人たちからすると「軽薄に流行りの言葉を使っているみたいで止めようぜ」みたいになっているのです。出世したら、オマエなんか友達じゃないみたいな。
さて、退職をして家でプラプラしているオジサン、オバサンにだって「一丁目一番地」はあります。勿論、人それぞれですから、「郵政民営化だ!」(小泉元首相)といった決め付けなどできないのですが、私としては「できる限り誰の世話にならないこと」が一丁目一番地にあたります。これを因数分解するならば「家族」と「健康」と「お金」ということになりますが、きちんと破綻なくこれらを継続維持するのはなかなかに難しいものです。つまらない老人の野望に身を焦がすことなく、先ずは一丁目一番地に全力投入の思いであります!
永田町には一丁目一番地があって、ここには「日本水準原点」が置かれていて、「平均海面からの高さ」が定められています。現在は標高24.39メートルとなっていて、日本のあらゆる標高は、ここを基準に計算しているそうです。確かに大事な場所です。ちなみに銀座には一丁目一番地はなく、二番地から始まります。二丁目、三丁目などにも一番地はないとか。何でも当時近隣土地との境界線が未確定だったことによるそうです。ふむふむ。