「忙しい忙しい」などと言って、何かやりながら別のことを考えている、会議では内職をするなんてことばかりの生涯を送ってきました。まるで「人間失格」の書き出しです。まぁ、こちらも或る意味で「サラリーマン失格」です。だって、結局、ただ忙しいだけで、同時に仕掛かっていたすべてが中途半端に終わるのですから。

以前のエントリでも少し書きましたが、人間の脳は「マルチタスク」ができない、大変な負担を脳に掛けてしまうのだそうです。本人は「マルチタスク」だと思っていることは、実は、複数のタスクを短時間で行き来させており、「脳がオーバーロードし、大脳皮質が収縮する」ことになるそうです。 ※出典:「脳はひとつのことしか考えられない! 『シングルタスク』で生産的に仕事をする4つの方法より米Entrepreneur記事(デヴォラ・ザック氏)

今からつい5年程前までは「忙しく」しているというのは、サラリーマンにとっては結構に大切なことだった様に思うのです。こうやって「忙しくない」今、思い返すと、何故、この国のサラリーマンが皆こぞって「忙しかった」かと言えば、それは「忙しくなりたかった」からなのです。だって、「忙しそう」だと「頑張っている」みたいに見えるでしょ。だから、いっぱい、同時に幾つものことを抱えてしまって、生産性がガタ落ちなのに「忙しい」を優先してしまう。

そうそう、社内での挨拶でも「どう、忙しい?」なんて言っていたのです。これ、聞く方は決まって「自分は忙しい≒いい仕事をして充実している」と自負しているんですけどね。「相手が何をしているか」には関心がないけれど、「相手が忙しいか」には関心があるのです。変なの。
ちなみに、聞かれた方の返事も様々です。「いいや、暇だよ」「ボチボチね」「忙しいよ」「死にそうだよ」「忙しそうにしてるよ」… まぁ、真剣に聞かれている訳ではないので、適当に返事をしておけばOKです。「ボチボチね」あたりが、いい感じです。

もしかすると、私がフルタイムでのサラリーマンを辞めてから、僅か13ヶ月の間に、このあたりの事情は「コぺ転」をしているのかも知れません。何せ、今は5分でも終業後に残っていると「何をやっているんだ」と注意される世の中になったのですから。部下が「忙しくしている」、「沢山の仕事を抱えている」なんてことがバレたら、本人には教育的指導、上司にはペナルティが待っているなんて話も聞きます。「早く終わらせて帰る」、これが今では最も大切な評価軸なのかも知れません。どうなんだろう、想像もつかないけれど。


昔のならいで、時間があると「あれもこれも」と欲張って手を出してしまいます。けれど、「一度にできることはひとつ」と自分を戒めること、退職後13ヶ月を経過して、ようやく手に入れた「宇宙の真理」否「中高年/高齢者の真理」の一つです。

今やっている仕事以外に、次の仕事の段取りを考えたりしないことにします。雨が降って予定していた庭いじりができなくなったら、プランBに移らずに本でも読んでいることにします。それじゃ、時間が勿体ないじゃない? いいんです、最早「忙しい」ということ、「何かやるべきことで満たされている」ことは、自分にとって、何ら「誇らしい気分」にさせてくれるものではないのですから。それに、止まない雨もありませんし。草むしりが捗りません…

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