最近「ホウレンソウ」の美味しさにやられてしまい、自分で食事を作るタイミングがあると必ず材料として買ってきます。お浸しにしてもいいし、味噌汁やスープに入れてもOK、フライパンで炒めたら絶品と、和洋中どんな料理にも違和感なく参加させることができます。
それで、私が特に好きなのが「根」に近い部分の少し赤みがかかったところで、普通は捨ててしまうところかもしれませんが、この部分の甘さ/旨味ときたら、全野菜中で最強かも知れません。この部分だけ売っていたりしないかな。
さて、図書館で目的など無しに「新刊」のコーナーを眺めていたら「キャリアデザイン」のことを書いた本を見つけました。この言葉、最近こそよく使われますが、62歳の私が20代、30代の頃は耳にすることはありませんでした。私が知らないだけで、世の中的にはみんな「キャリアデザイン」に励んでいたのかも知れませんけれど。
そもそも若かりし日の私は、生涯を賭けて成し遂げたいこととか、自分で自分の人生を操縦するなんて、そんなことを微塵も考えたことがなかったのです。とにかく「目の前のこと」を片付けるのに必死で、何とか今日を凌いで明日を迎えるだけの毎日でした。ただ能力が不足していただけですけどね。
勿論「転職」も考えたことが無かったし、自分を磨くとか、資格を取るとか、こういうスキルを身に付けるとか、そんなことすら思いが及ばなかったのです。そして、今となって振り返るに、そのことを後悔したりはしないのです。
人それぞれに「性分」というか、「好きなやり方」というか、「芸風」というか、「これしかできない」というか、そういうものがありますよね。何度もこのブログで書いているのですが、私の場合は「忙しくて、時間があっという間に流れていく」という状態にいるのが、いちばん精神的には落ち着くのです。今の職場に特段の不満がないのは「ひたすらに忙しい」が最大の理由なんですから。
今の若い人たちはいろいろと大変なんでしょうね。人事あたりのヒマな人たちが最近の流行に乗っかって考えた「キャリアデザイン研修」みたいなものを受講させられて、「自分のキャリアを自らがデザインし、創り上げる意識」なんてのを持つ様に言われて… いいから、黙って好きに働かせてよって思う人もいるんじゃないですかね。何だか社会がどんどん「難しいこと」「無くてもいいもの」を人に望む様になっている気がします。
確かに自分が望まない限り、望んだ場所に辿り着くことはありませんが、そんなに上手くはいかないし、自分が思い描いた人生をなぞっても面白くはないと思うんですけどね。それに、精緻なキャリアデザインに基いて組み立てたハズのキャリアプランなんてものが破綻したら、どうするんでしょうね。何だか二度と立ち上がれない様な気もしますが… 余計なお世話でしたね。
まぁ、ただ一つの真実は、もうすぐ63歳になるワタシは「キャリアデザイン」を考えるには今さら手遅れだということです。これだけじゃなくて、こういう「今さら手遅れ」のことで世界は満たされています。いつだって、世界は若い人たちのものですから。
それに、「まだ間に合う過去」に戻ったところで、別の未来など選択はしないし、結局は同じ今に辿り着くことを私は望むのです。そうだったら、戻らなくてもいいかな。
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昨日(2/14)までバレンタインデーのイベント売場だったところが、一夜にして「ホワイトデー」セールに装いを変えていました。感動しました、あまりの「ケロっ」とした変貌ぶりに。バレンダインデー、そんなに遠くない未来に、みんな忘れてしまいそうですけれど。もともとチョコ屋さんの陰謀だしね。