冬場で食べるものが無い様子で、近所をうろつくカラスたちが「燃えるゴミ」を徹底的に漁ります。先日もどこかのお宅が「カラス除け」ネットを掛けないままに「燃えるゴミ」を出してしまい、カラスたちが袋を食い破ってしまって、路上に中身が全部バラまかれてしまいました。

この惨状は確かに「ゴミを出した人の責任」なんでしょうが、余りにも見苦しくて、何とかしなくちゃとは思ったのですが、何せ1分1秒を争う通勤の途中なので、そのままにスルーしてしまいました。近くの電線の上にとまっていた犯人には、「ダメだよ」と忠告しておきましたけれど。

さて、「空前の人不足」とされる一方で、「大失業時代」が来るとも言われています。きっとそのとおりなのでしょう。この矛盾する二つの事象が、これからしばらく?は続く様に思います。

人不足が起きているのは「人がやりたくない」仕事です。きつくて、賃金が安くて、単調。こういう仕事の多くは「現場系」のもので、賃金が安いことから、自動化する経済的効果がなく、当面は「このまま」に仕事が存続し続けると私は思っています。警備とか清掃とか飲食/小売とか介護とか。

飲食については、卓上でのタブレットオーダーシステムとキャッシュレス決済が「当たり前」になりつつあるので、意外と早くに「人手不足」が緩和されるかも知れません。それにスーパーでもセルフレジが当たり前になって、近所のお店ではレジ打ちのパートの人、ほとんどいなくなってしまいました。

一方で「大失業時代」が来るのは、どちらかと言うとこれまで給料が高く、知識や技術が求められていた仕事と思います。研究職とか会計とか事務職全般とか。一部の極めて優秀で、仕事全体の生産性をコントロールできるヒトは残るのでしょうが、それ以外はAIが面倒な作業を黙々とこなす未来が既に始まっています。どこの職場にもいる「Excel名人」みたいな人で、余人代え難しなどと自らの有用性を自負していた人も安泰ではありません。

人とのコミニュケーションが大事だから、機械やコンピュータではできないよなんて言われていた「営業」「接客」も、早々に「ヒト」がいなくなってしまいそうです。必要なときに必要なものをサクっと注文できたり、手続きができるものがあれば、別にヒトがいなくてもよいのです。

何か不明なことがあれば、AIによるチャットボットに問い合わせれば何とでもなるのですから。それでも埒が明かない場合は「諦める」しかありませんが、だんだんと世の中が「それで仕方なし」と受け入れる様になってきています。

売る側からしても、人件費の削減だけでなく、買い手の無理な要求(値引き/納期など)を受け付けずとも済む様になるかも知れません。まぁ、何かあったときに「謝る」役割の人は残るのでしょうが。これからは「誤り上手」が生き残る時代かも知れません。

それで、こんなことが世の中で起きていると、「大失業時代」で企業から追い出された人が、「人手不足」の仕事にシフトすることで、意外とバランスが取れてしまう様な気もします。みんな総じて、給料は下がりますけどね。

でも、今までは退職した高齢者やパートが主な担い手だった仕事に、こういった「失業者」が押し寄せてくると、今度は従前からの働き手が、そこから追い出されてしまうということにもなりかねません。

とは言っても「人手不足」とされる仕事は、一つの職場に働く人が定着しないケースも多く、流動化した人たちがクルクルと同じ様なところを回っていたりします。イスの数が減らないイス取りゲームを延々と繰り返しているみたいなもので、参加者が多少増えても、特に異常なく適度な「人手不足」が続いていくのかも知れません。

きっと、こういう大きな社会の変化は既に静かに進行していて、「或る日突然」に自分がその渦中に放り込まれてしまうなんてことも十分に起き得るのです。「仕事」にまつわる変化というのは、当事者とその家族の「世界そのもの」を変えてしまいます。看過できない大問題です。

それで、こういう変化の時代にあって、殆どの人は何もできません。私なんか、その際たるものだったりします。辛うじてできることと言えば、ただ「覚悟をしておく」ことぐらいです。今だって、十分に薄給なんですが、或る日突然に「あなたクビ」なんて言われたら、それなりにショックだったりするのです。もしかしたら、そんな日が来るのは意外に近いかも知れません。「覚悟」せよ!ってか。

****
今日は東京地方、風が強い一日でした。置配をしてもらった段ボールが、風で随分と遠くまで運ばれていました。小さな買い物だったのに、よりよって大きな段ボールに入れられて届いたのです。「誰かに盗まれたのでは」などと、危うく疑うところでしたよ。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。