自分は「時代」が生み出す空気みたいなものを、既にキャッチできなくなっていることをはっきりと自覚しました。それは「強風オールバック」なるネットで配信されているコンテンツのことを、まったく知らなかったことによるショックなのです。
既にようつべでは1億回以上の再生回数となっていて、大手の食品メーカーのCMでも採用されているというのに、私ときたら、何も知らなかったのです。とあるところで、この存在を知り、ようつべで検索して、再生してみたのですが、「そうか、もはやここまでこの国の人の「感性」の針は振れているのね」と驚かされました。
こういう無意味な分析以上に、楽しいんですよ、これが。こんなオジイサンでも、何度も観てしまう中毒性があるのです。今、世界中で「多様性」だの何だのと大騒ぎをしていますが、この国の文化って、そんな堅苦しい論点を軽々と乗り越えていて、「おもしろい」「楽しい」「素晴らしい」と思える価値範囲が無限に拡大し続けている様に思えます。しかも、人を不快にさせたり、傷付ける様なものをきちんと避けながら。
どこかの国のメディアが「今、世界で最も影響力が大きな国は日本だ」と言ったとか言わないとかとらしいのですが、確かに、こういう全方向に向けた多様性の無限拡大なんて、歴史上、どの世界でも起き得なかったことかも知れません。知らんけど。「強風オールバック」、また観ようっと。
さて、「中年の危機」なんて言葉があって、随分前からブームの様になっています。若い頃からがむしゃらに生きてきて、中年になって、ふと自分と周囲を見比べると「自分は他の誰かに比べると、何もして来なかった」と思い、凹んでしまう。どうやら、これが基本文脈の様子です。
果たして自分にはそう思った時期があったのか、今振り返るによく分からない、覚えていないのです。ありがたいことに、いつも忙しかったので、複雑な心の機微みたいなものが生じる余裕がなかったのかも知れません。
その代わりというか、長年勤めた会社を早期退職した後、しばらくの間は身勝手な「喪失感」みたいなものを感じましたけどね。まぁ、そんな感情も今はなく、無事に「老後の仕事」「その後の人生」に着地しているのです。好きな方面のこと(細かい数字をいじる)をして、一日が「あっ」とか「うっ」とか「おっ」とか言う間に終わる、これ以上の幸せを望むのは贅沢というものでしょう。
それで、もし、今、そういう「喪失感」みたいなものを感じている人がいるならば、エラそうにアドバイスをしちゃいます。ただ一言「しばらくしたら忘れるよ」です。逆に言えば、しばらくは、そんなもやもやした気分に浸っていることになるのですが、付ける薬はないので、そのままに受け入れていて下さいな。人生において、「喪失感」なんて上等なもの、そう何回も味わえませんからね、貴重な体験なんですよ、本当は。勿論、これから先、敢てそんなものを望んだりはしませんが。
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カミさんが「菜の花」をネットスーパーで買ったのですが、想像していたよりも「大きく育った」ものが家に届いたのです。茎の部分なんか、ジャンボアスパラガス程の太さがあります。
カミさんが使いあぐねていたので、今日のランチにパスタの具材にして食べました。本来、「菜の花」はほろ苦い味わいを楽しむものだと思うのですが、全体的に甘くて、特に茎の部分など、絶品の美味しさでした。
ちなみに「菜の花」って、アブラナ科の野菜の花芽のことで、アブラナ科の野菜とは、ハクサイ、カブ、ダイコン、コマツナ、ミズナ、チンゲンサイ、キャベツなどを指すそうです。スーパーで売っている「菜の花」も、「実は私はXXXの菜の花なのよ」と素姓を明かしてもらうとうれしかったりします。それぞれの野菜で、「菜の花」も微妙に味がちがうんでしょうね。