そろそろ早退(早期退職)のことは忘れます… というか十分にいろんなことを書いてきました。一区切りの7回目は、早期退職をした中高年なら誰でも頭をよぎらせた「うしろめたさ」について書いてみます。
そもそも、「うしろめたい」というのはどういう感情なのでしょうか。いろいろの辞書的表現を探るなかで、大当たり!のものがありました。
●本当はしてはいけないことをした、というような良心の咎めを感じること。(うしろめたさ)
※実用日本語表現辞典:http://www.practical-japanese.com/
見事です。そのとおりなのです。私がこのエントリで書きたいのは、私に僅かに残された良識やら、良心やら、「これはこうあるべき」といった定めの様なものを「早期退職」という行為がどのように傷付けたかということなのです。面倒臭い話なのです。
それでは、私が早期退職することで、私の中の「決まり」をやぶったことを並べてみます。そして、これらはすべて、早期退職をした後に気付いたことなのです。
<1>定年退職を迎えられなかったこと
日本ではどのくらいの人が定年まで一つの会社で働き続けるのでしょうか。リクルートワークス社が行っている「全国就業実態パネル調査(JPSED)」の2020年度データによると、「50歳~59歳の男性の34.1%」は転職回数が「0」、つまり、このまま退職をしなければ、一つの会社で定年退職を迎えることになるそうです。
※出典:リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査(JPSED)」2020年 https://www.works-i.com/surveys/panel_surveys.html
私もこの「34.1%」の人たちと同様に、新卒で入社した会社で定年を迎えることをイメージしてきたのです。35年間、そう自分で決めていたことを果たさなかったことが「うしろめたい」ことなのです。古いモラル、昭和脳、何とでも呼んでもらえばよいのですが、自分がそれを善きものと考えていたことを裏切ったことが「うしろめたい」のです。
私の場合、会社や同僚には「うしろめたい」という感情はまったく起きませんでした。素晴らしい会社でしたし、皆優秀な仲間たちでしたので、「私がいないこと」が、何か彼らを困らせたり、不利益を生じさせたりすることなど有り得なかったのです。
<2>楽な生き方を選択したこと
敢えて定年よりも前のタイミングで「自由な時間を増やして、悔いが無いようにやりたかったことをする」という選択をしたことが、自分自身、とても意外なことであり、それが自分にとって「楽なこと」であったのが、「うしろめたい」のです。それまで、自分のことをストイックな修行僧だとも思っていたのでしょうかね。退職後しばらくの間、何だか自分の薄っぺらさの様なものをうすら寒く感じていました。
<3>同じ年の友人より早く「いちぬけた」をしたこと
今でも、ふとしたときに、「アイツ、今頃、満員電車に乗ってんだろうな」とか、「役職定年を迎えたと聞いたけど、どんな気持ちで今は働いているんだろうな」とか、同じ年の友人たちのことを考えることがあり、自分が一人だけ退役して安全な街で暮らす兵士になった様な思いをすることがあります。
学校を離れ、それぞれが違う仕事に就いてはいても、「一緒に戦う戦友たち」から一人だけ離脱したことが「うしろめたい」のです。そんなに頻繁に会ったり、連絡をし合ったりしていた訳ではないのに何故でしょうね。これは「うしろめたい」のと同時に「うらやましい」という感情なのかも知れません。
結局、「早期退職」というテーマで随分と沢山のエントリ(記事)を書いてしまいました。最後に一番センチメンタルな「うしろめたさ」を整理したところで、そろそろこのテーマの一区切りとします。中身のない記事ばかりでしたが、読んで下さった方々には感謝です。
さて、これからは未来志向、とはいっても中高年を待ち受ける苛烈な未来を私なりに考えるという「中高年の不確実な未来」、略して、「中高年の不実」というエントリを書いてみることにします。また、読んでね。ではでは!