ついに電車で席を譲られました。それは金曜日の通勤電車の混んだ車内のことでした。私が吊革にぶら下がっていた前の席の「隣り」の方が、席を立ったのですが、その席の前に立っていた「若い女性」から「どうぞ」と席を譲られたのです。

「大丈夫ですよ」とお断りをしようかと思ったのですが、情けないことに「ありがとうございます」と一礼をしてから座ってしまったのです。とほほ… そんなに年寄りに見えたのかなぁ、確かに吊革にぶら下がるにも「疲労困憊」の体でしたからね。ぐだぐだ、今にも崩れ落ちそうな感じ。

正直、有難かったです。どうもありがとうございました。これからはもう少し、シャキッとしている様にします。

さて、会話しているところに、第三者が割り込んでくるということがありますよね。あれ、すごく苦手なのです。割り込まれた瞬間に、私は会話から脱落することにしています。後は、あなた達でお話ししてねということです。

これ、他人にやられてイヤなことなので、私もまた、余程のことがない限り、絶対にやらないと決めているのです。思えば昔は結構「割り込み派」だったんですけれど、されてイヤなので、しないことにしたのです。

それで、「余程のこと」とは、間違い、それもいろいろと周囲に害を為すものが延々と話されている場合です。会話しているのが見知らぬ人でない限り、仕方がないので、「それはちょっと間違っていましてね」と口を挟みます。

これだって、本当は放置したいんですけどね、黙っていて自分が狭量であると悔いるのもイヤだし、いずれ「誤り」が巡り巡って実害が自分に及ぶのもイヤだし…人の間で生きるのは難しいものです。

普通の会話だけでなく、SNSのグループ内でも「こういう状況」(割り込まれる)になるときってあるじゃないですか。というか、SNSにおけるグループというのは、こういうものにどんどん割り込んで、話が膨らんでいくのが正しいあり方の様にも思いますが、私はどうも、こういう流れに乗るのが下手であり、できないのです。

それで、いつの間にか「既読スルーの人」となっていくという流れです。その中に、私を除いた人たちの新たなグループができて、以前のグループは「遺跡」の様になっていくということが起きているのかも知れません。そういうことなんでしょうね。仕方がありません。だって、できないんだもの。

こういう面倒くさいこと、今の若い人は感受性豊かな心を痛めつつ、ずーっと繰り返しているんですかね。それともみんな、基本動作として、上手に「割り込んだり」、無理して「相槌」くらいは挟み込んでいるんですかね。みんな、頑張ってね。どんなに失礼で、空気を悪くしても、オジイサンにはそんなことはできないし、これからもやらないのです。太宰センセが「人間失格」なら、私は「SNS失格」だな。

*****
庭のレモンの木から、最後まで枝にぶら下がっていた2つの果実を収穫しました。随分と黄色くなっていました。今年も楽しませてくれて、ありがとうね。来年もよろしくです。いっぱい、実ってね。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。