今日(11/27)は久し振りにカッコいい都心のホテルに行ってきました。今勤めているところが主催するイベントがあって、そこに駆り出されたのです。といったも、こんなオジイサンに、何か役に立つことなどできるハズもなく、ひたすらにセミナー会場で席に座って、「サクラ」をしていたのです。居眠りをする訳にもいかないし、サクラも楽ではありませんでした。

さて、ケチな私の今年最大の発見は「呪い始めたら捨てる」です。改めて少し説明をすると、自分の周囲にある「モノ」や「コト」に対して、自分がネガティブな感情を持ち始めたら、無理をして「好きなフリ」をしたり、嫌々ながら使い続けたりせずに、捨ててしまっていんだよということなのです。

こういうものを「モッタイナイ」とどこかにストックしておいても、恐らくは二度と使うことはなく、更にはこれらの「モノ」や「コト」に呪いの言葉を吐いてしまうだけなのです。「邪魔だなぁ」とか「鬱陶しいなぁ」とかね。これでは「モノ」も「コト」も、ひたすらに可哀想です。ただただ呪われるためだけに存在するなんて、本当に辛いことでしょう。

それで、「呪い始めたら捨てる」を続けていると、いつしか部屋の中や、家の周囲が随分と「気持ちのよい」風景に変わる様に思うのです。これは逆の言い方をするならば、全然使わないモノでも、そこにあって不快でなければ、どんなにスペースを占有していたとしても捨てない、ということです。

そうして、いつしか部屋の中は、だんだんと骨董品店の店の奥みたいなことになってしまうんでしょうね。他人から見たら、使いもしない、ゴミみたいなものが沢山あって、だけど、そこに暮らす私はとても満ち足りていて、最高にリラックスできる。そして、「呪い始める」モノが出来たら、それが、頻繁に使うものであっても、躊躇なく捨ててしまう。極めて明確な「捨てる」基準ができました。当たり前か…

断捨離のエライ先生から見たら、大目玉をもらいそうな生活スタイルかも知れません。けれど、これまでは「呪ったもの」すら捨てられなかったのですから、これは人類(私)にとって大きな一歩なのですよ。

それで、こんな面倒なことを何でグダグダと書いているかと言えば、十年程前に買った家具の使い勝手が悪くて、これまでも不満たらたらで、かなり深刻に「呪って」いたので、どうしたものかなと悩んでいたからなのです。ううむ、決めました。「基準」に沿って、粗大ゴミに出してしまうことにしましょう。今まで長い間、ありがとうね。

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一昨日、取引先の会社さんからカレンダーをいただきました。来年はついに「カレンダーレス」としようと思っていたのですが、そうはカンタンにカレンダーから逃れることはできない様です。デザインでも悪かったら「ごめんなさい」をしてしまおうと思ったのですが、無地で日付の数字もシックに小さめで、減点する点が見当たりません。来年1年間、よろしく頼むぜ。

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