最近、「野球は失敗のスポーツだ」という言葉を知りました。とても納得できて、奥が深い言葉だなぁと感心しました。誰が作ったか知らないけど。

MLB、NPB、高校野球… どんな試合をTVで観ていても、画面に映し出されているのは「失敗」ばかりです。打ち取られた打者はその失敗に何とも言えない表情を見せますし、打たれた投手も平静を装いますが、心の奥で思っていることを考えるとこちらまで辛くなります。

最近の野球では投手力が以前より向上目覚ましく、打者の力がそれに追いつかずに「3割バッター」というのがほとんどいなくなってしまいました。「3割バッター」といっても、10回の中、7回は失敗しているのです。つまり、多くの場合は「失敗したぁ」などと口惜しい思いと後悔が頭の中で渦巻いているのです。例え、それが瞬間のことだとしても。

それでも打者の場合は挽回のチャンスが多数ありますが、投手にいたっては例え大半がきっちりと相手打者を抑え込んでいても、たった1球のコントロールミスがホームラン!なんてことになると、結果として記録も記憶も「失敗」しか残りません。残酷な世界です。

昔は試合を観ていても、応援するチームの「成功」部分しか見ていませんでしたが、最近は敵味方関係なく「失敗した」選手の心情を思う様になりました。「しんどいだろうな」とか「今、頭の中は真っ白なんだろうな」とか。

勿論、こういう「辛さ」って、プレーしている選手たちが一番よく分かっているので、「失敗した」選手を味方だけでなく敵チームであっても、きちんと労う姿が画面に映されるとほろっとするのです。

肩をポーンと叩いたり、ベース上でグローブでお尻を叩いたり。同じ辛さを知るものの間にだけある「共感」です。「大変だったな、大丈夫だよ」ってね。こういうのを嫌う人も少なからずいるのかも知れませんが、私は大好きですよ、だって、例え失敗しても味方なんですし、相手が敵であっても、その相手がいてこその試合なんですから。そこに敬意や共感や思いやりが無ければ、何とも殺伐としてやり切れません。

それと、選手は失敗したときの責任を「自分」が半分、残りの半分は自分を使った監督と思えばよいと思うのです。「自分を使ってくれた監督の思いに応えられなかった」という思いは、大変に素晴らしい基本姿勢と思いますけどね。選手の活躍の有無に関して、監督の責任が無いならば、監督なんていらないじゃないですか。

それで、今日のエントリで私が言いたかったのはこれだけです。「仕事でどんな失敗をしても、自分だけがその責任を背負う必要はないんだよ」。まぁ、反省は必要ですけどね。それに、流石に仕事で3割バッターというのはヤバイかもです。

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日本の健康保険制度ってスゴイですよね。8月にしたカミさんの手術、そもそもの医療費は150万円を超えるものなのに、健保が145万程度払ってくれて、残りは自己負担したものの、更にはそれが一定金額を超えていたので若干ながらも還付までされる。有難いことです。

戻ってきたお金で何か美味しいものでも食べることにします。おいおい、お金は大事にシロヨ。

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