3連休も残すところ明日(8/12)一日になりました。今日は午後から墓参りに行ってきました。お盆休みのど真ん中だし、きっと道も混んでいるんだろうなと思ったのですが、まったくの杞憂に過ぎず、道路もお墓もガラガラ、スカスカでした。
暑さで眩暈がしそうな中、父母の墓へと霊園内の長い坂道を登っていきました。こうやって、この坂道を上るのも35年以上となりました。何となく「訪ねること」が正当と思える数少ない場所の一つです。
さて、不幸や、不利益になることを避けるために、いろいろと先回りをして策を弄したりすることに、何だかもうすっかりうんざりしてしまいました。何か、そう思う出来事があった訳じゃないんですけどね。
何か起きたら、善しにつけ悪しきにつき、それをそのままに受け入れて、順番に終わらせていく。結局は、それしかできないし、それで思いもよらぬところに、人生がつながる不思議を知ることができたりもします。
例えば、体の不調を覚えて、病院で診てもらうと、青天の霹靂で面倒な病気が進行していることが分かる。手術と入院が必要で、最低でも半年くらいは仕事ができない。会社に相談するも、「有給休暇以上に休むのであれば欠勤扱いになるし、長期間に渡り出社できないとなれば、退職ということになりますね。契約社員(嘱託)だと休職は適用していないんですよ」などと言われてしまう。
こういうことにならない様に、収入保障保険に入る、再就職先を選ぶ際に(契約社員にも)休職制度があるところを選ぶ、致し方なく退職したとしても、後に手術や入院が控えているにも関わらず、すぐに求職活動を始める… 私が今日のエントリで書いているのは、こういうことは「やらない」ということなのです。
そんな不幸が起きるかも知れないなどと、先ずは考えない。もう60歳をとうに過ぎていて、これまで大した不幸もなく生きてこられたのですから、これから先何が起きたとしても、「しょうがないよね」と思うだけなんですよ、本当は。
それから、起きたことはそれがすっかり収斂して、もはやしっかりと「その期間」が終わるまで、何も始めたりしない。まだ途中であっても、いろいろと周囲の状況が悪化していることに気を病んで、じたばたするなんて、もうしない様にしたいのです。
よく、履歴書に空白期間が…などと心配する向きがありますが、それは30代とかのエリートさんの話で、60歳過ぎのおじいさんの履歴書なんて、誰も真剣に読みはしないのですから。例え何が起きたにせよ、順番にコトを終わらせて辿り着いた「現在地」で、そこに待っている世界を受け入れる。「へぇー、こんな世界が待ってたんだ」などと、目の前に広がる風景をじっくりと眺める。そこからスタートです。
こんな風に考えると「もはや無敵」な感じがします。周囲はたまったものじゃないと思いますけれど。何が起きても大丈夫!なんて思う一方で、悲しいくらいに何も起きないんですよ、おじいさんには。それが最高の幸せなんですけどね。
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それで、今日(8/11)、ドラッグストアやディスカウントショップで「水」を買おうと墓参りの帰り道に数軒立ち寄ったのですが、ほとんどのお店で「完売」でした。みんな、目ざといなぁ。